同行二人(6日目の1) 2008年10月24日 四国遍路 迷故三界城 「同行二人」とは、お大師さまと常にふたり連れということ。 お遍路をはじめると、様々のところで目にするのが、この「同行二人」。「同行二人」とはお遍路がお大師さまと二人づれという意味です。遍路では一人で歩いていても常に弘法[…] 続きを読む
恩山寺前バス停で、ヤモリとクモと、ボクとゴキブリと(5日目の3) 2008年10月23日 四国遍路 迷故三界城 地蔵峠で雨は降り止んでいた。歩くことの苦しみや痛みがボクの哀しみを分散させていた。「逢いに行く」という気持ちもその苦痛をやわらげていたのかもしれない。行くため歩くのではなくて、行かなければならないから歩くのだ。 県道20[…] 続きを読む
ユリさんの死(5日目の2) 2008年10月23日 四国遍路 迷故三界城 ユリさんの死、それを告げるメールがこのタイミングで届くことに、怒りのようなものを感じていた。 ボクは地蔵院前の公園のベンチで南の空を見ていた。陰雲は相変わらず時間をも隠蔽していた。それでも、時は流れていた。ボクはそこにい[…] 続きを読む
地蔵院にて、濛雨(5日目の1) 2008年10月23日 四国遍路 迷故三界城 人は必ず死ぬ。 ビジネスホテルの朝は雨だった。いつもの時間に目覚めたのだけれど、そのことを確認するとボクはまたベッドに潜り込んだ。8時前に起き出して、朝風呂に入った。足の痛みは少しだけだけれど和らいでいるように感じていた[…] 続きを読む
蔵本駅前ホテルにて(4日目の3) 2008年10月22日 四国遍路 迷故三界城 中鮎喰橋を渡るまでにすっかり夜になっていたのだけれど、ネオンや車のヘッドライトのヒカリでその夜は昨日の神山のものとは全く違うものになっていた。都会の夜、夜の照度が文明の度量衡なのかもしれないと思った。きっと、うまく伝わら[…] 続きを読む
鬼籠野、時雨て霞む徳島の街(4日目の2) 2008年10月22日 四国遍路 迷故三界城 鬼籠野、徳島へと続く道は寂しかった。 住むだけ、あるいは遍路として四国に滞在するだけならば、四国は優しく包容力のある場所だと思う。一笠一杖の旅姿さえしていれば、お遍路さんとして公認される。そして無料の宿泊施設や野宿場所や[…] 続きを読む
プロ遍路との出会い(4日目の1) 2008年10月22日 四国遍路 迷故三界城 プロ遍路氏が「神山、鬼門や~」と言った。 そしてボクが自販機の缶コーヒーを買おうとしたら「こんなところに金落とすことはない」と…。神山町には鬼籠野(おろの)というところがあるのだけれど、そういう意味では本当に鬼門かもしれ[…] 続きを読む
神山で野宿、そして神の山は焼けた(3日目の2) 2008年10月21日 四国遍路 迷故三界城 神山へ向った。結局、焼山寺を打ち終えて、結局食料もないということで鏡大師経由を諦めて神山経由を選んだ。当初は鏡大師経由という計画だったのだ。藤井寺から焼山寺、そして鏡大師、広野、国道192号までの道には食料を確保できそう[…] 続きを読む