川崎殺傷事件と年金問題
ひきこもる中高年とそれを扶養する高齢の親。死ぬに死ねない親、死にたい子、死を隠して年金を不正受給する子、そんな家族の風景、増え続けるパラサイトシングル。
川崎市登戸通り魔事件(かわさきし のぼりと とおりまじけん)は、2019年(令和元年)5月28日に神奈川県川崎市多摩区登戸新町で発生した通り魔殺傷事件。結果として被害者のうち2人が死亡し、18人が負傷した。犯行の直後、容疑者は自ら首を刺し、その後死亡した。
川崎殺傷事件の犯人も中高年のひきこもりだった。
彼が悲観し絶望したのは親(養親)の老後と死別だったのではないか?
ひきこもってしまった中高年が、そこから抜け出すことは難しいのだろうと思う。例えば51歳、岩崎容疑者にとっては抜け出す手がかりさえなかったのだろうと思う。
そして老いゆく親、老後(それは年金というパラサイトしている正体なのだけれど)に悲観し絶望し、少しの希望だった自らの年金も支給年連を引き上げられ遠のいてしまっては、絶望は圧倒的な力をもって彼を押しつぶそうとしたに違いない。
生きるということは簡単だ。少しのお金、親子3人が暮らせる年金ほどのお金。それさえあれば、誰に咎められることなく、自らを否定し鬱屈した闇の中の住人になることもない。
働くということが責任であり社会と繋がるという本質を見失ってしまっているボクたちにとって、生きることはお金で物を買うという単純消費なのだ。
脱出することが出来ない暗闇に届くのは、春の暖かい空気に混ざり合った楽し気な声。絶望ではなく希望の声、悲しみではなく楽しい声、それが暗闇の住人を苦しめる。それこそが暗闇を否定する正体、だったに違いない。
光と闇がある限り、そしてそのコントラストが強ければ強いほど、闇の住人の孤独感や疎外感は増大し、彼らの反対側にいる光に対して憎悪は増す。テロは、犯罪は、狂暴化し変態化する。
年金受給年齢を引き上げて誰が幸せになるのだろうか。
引き下げて50歳からでも受給できる仕組みのほうが安全に安心して暮らせる。あるいはベーシックインカムでも良い。消費し生産し納税する、資本主義の成長しなければならない宿痾からボクたちは解放されなければ、きっとまた悲しみの事件は繰り返される。
きっとまた繰り返される。
中野さん、どうも。
たしかにボクなんかも、自宅で出来る仕事があればそのほうが幸せかなあ、なんて思っています。
子どもの「なりたい職業」でユーチューバーが上位になるのも同じようなことなのかなあ、なんて考えたりもします。
ひきこもってなにが悪いのか、そう思うのですが、結局生活するためには外にでなければならないのが、当事者たちの苦悩かもしれませんね。
けんちんうどんさん、おひさしぶりです。
ありがとうございます。
なんか書いていれば気持ちが落ち着くってのは、ちょうど包丁を研ぐと精神統一するってのと似ているのかなあ、なんて思っています。
生活が落ち着いてくると、こうして書ける時間も増えてきます。まあ、実は、このまま社会と縁を切りたいと思ったりもするのですが・・・。
田原笠山さま、お久しぶりです。
ずっと更新されていなかったので、
どうしたんだろうと思っていました。
田原さんの文章の豊かさに、改めて
感じ入りました。
(このような表現が適切かどうか、
私には自信がありません)
語彙や表現の豊かさは、その人の
歩んで来た道のりの長さや、
他人への思いやりの深さなど、
人間にとって大切なものに比例する
のではないかと思っています。
政府首脳や、財界幹部などの発言を
聞いていると、特に思います。
田原さんの更新を楽しみにお待ち
しております。
私の住んでいる東京と、田原さんの
お住まいの愛知県がネットで繋がって
いることに感謝しております。
ひきこもりの支援を茂木大臣がテレビで話していましたが、長期化すればするほど自立が難しいと思います。ひきこもっても出来る仕事、仕事しなくても良い仕組みも必要なのかもしれません。ひきこもりが特別ではない社会を作ることも必要かもしれません。