“高齢化”するひきこもり(3)

“高齢化”するひきこもり(2)からの続き
働くということは人間関係という煩雑な手続きの強制のようなものだから、1度混乱してしまった思考を正常に戻すということはかなり勇気のいることで、その関係への恐怖心というのが、就職というものに先立って現出するんだよね。ボクもそうだけれど。
「仕事が出来るか」というよりも「人とうまくやっていけるか」ということへの不安の方が大きい。というかそればかりが求職票の向こうに見えてくる。賃金とそういう人間関係というのを量りにかけたら、やっぱり人間関係かなあ。トヨタで働くということは、逆にそういうことなんだと思う。人との関係を遮断も出来るし、選択もできる環境だからね。だから「早めに脱け出せ」とボクは思っているし、言っているのだけれど。遮断し選択できる人間関係は普通の企業だと、かなり難しいだろうし。忘年会に参加しないことが普通って会社も少ないだろうしね。
ま、もう少しそこを逆説的に考えると、トヨタが社会復帰への道を閉ざしているってことにもなるんだけれど、それはゴニョゴニョ…。
かなり就職への恐怖心ってのはある。もう何年も非正規で働いてきたから、普通の働き方ってのはどういうものかということも、かなり分からないでいるから戸惑うと思う。期間工のように作業が終わったら、すぐに帰っていいということもないだろうし、「止める、待つ、呼ぶ」なんてことをしていたら、たいへんなことになるだろうし、とてつもないスピードで自己判断しなければならないのだろうし…。
なんてことを考えていたら、また億劫になったり怖くなったりする。
中高年は「全く別物」ってことでもなくて、若年層とあまり変らないように思うんだけれど。若年層よりももっと複雑なのは、精神疾患というよりもそういった恐怖心があるってことなんじゃないかと思っている。その若年層に使われるってことなんかも含めてね。人は傷付くのが怖いもんだよ。
その傷付く原因というのが仕事をおぼえるということに起因するとしたら、もう就職というのは出来れば避けたいことになるしね。それに仕事を辞めた理由というのが人間関係に起因していたとすると、そういった悪夢は容易に想像できるし、多くのキーワードによって想起できるしね。呪いの言葉みたいなもの、そのキーワードが多くなるのが実は中高年で、そこに縛られてしまっているのだとうと、思っている。
なんか、書いてると、どんどん落ち込んできた…。お終い。

実態調査をまとめた明星大人文学部の高塚雄介教授は「若年者層のひきこもりは心理的葛藤(かつとう)が主な理由だが、40代以上は精神疾患の可能性があり、全く別物。年長者のひきこもりは昔からあり、かつては山にこもるなどしていたが、現代では家庭にこもるしかないのでは」と指摘している。

「全く別物」とも言えないのではないだろうか。
それに「昔からあり」「かつては山にこもるなどしていた」という山にこもる人たちと精神的疾患の因果関係も曖昧だし、ひきこもりが山にこもっていたというのもいささか強引だと感じていて、年齢で区別するということが不可能な時代、その中高年という線を引いてしまうことの限界ということを考えているのだけれど。

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