ドライバーと配車センター
配車センターのことについて考えてみた。
その前に、東京や名古屋、大阪などの大都市と地方の配車方法はかなり違っていて、それは業務形態の違いからくるものだ。
都市部以外のタクシー事業者は「車庫待ちなどの業務形態」と言われる車庫や駅、繁華街の乗場で待機して無線配車を待っている営業方法を基本として、流しでの営業はほとんどない。
流しでの営業がないので、実車配車率(実車数に対する配車数)が、80%なんて地域もあって、配車を受けないと配車忌避行為として指導される。配車がないと収入がなくなる。
だから、厳格な配車ルールがあって、配車センターの無線係はまずそのルールから学ばなければならない。
配車システム上でルールをプログラミングしたとしても、最終的に車両を決定するのは人という会社がほとんどだと思う。
全自動ではなく、半自動や手動にしたほうが、人や交通状況などに対してのルールが適用しやすいからだと考える。その地域のルール、労務管理上の問題などで、半自動のほうが合理的に、かつ平和的に配車業務を行える。
配車での業務が主体、だからこそ、配車ルールが複雑になり、配車業務を困難にするという側面もある。
「距離だけ」なんてシンプルなルールにしたところで、公平性を欠くことになる。そもそも車庫待ちなどの業務形態なので、待機しなければならないという前提がある。配車の優先順もだけれど、キャンセル時の優先順も、もちろんある。
配車の恣意性
ただ、手動、半自動だから、配車に対する恣意性を問題視することがある。
「おお、今の配車、順番違うんじゃねえのか~、ごらあ~」とか
「短距離何で私に配車したんですね」とか
「やっぱ、配車センターと仲良くしたら、良い配車もらえるよなあ」とか
「わし、こないだセンター長ともめたから、干されてさあ」
中には、怒鳴り込む人もいる。そして「おぼえとけよ」とか恐ろしいことを言う人もいる。
そんなことは、ないと、ボクは思っているし、弊社ではないはずだ。
さて、こんなことをあらためて考えているのは、ドライバーと配車センターの関係がツイッター上で流れていてたからだ。
「ドライバーと配車室はどちらが上か」という問題。
「上も下もない」「お互い様」というところに落ち着くのだけれど、現場では上記のようなことを言う人や、「誰が食わしてやっていると思ってる」なんて平気で言うドライバーもいる。
センターとは
そんなドライバーと配車センター配車センターの切っても切れない関係と、その「センター」って意味を考えてみた。
タクシーというのは、お客様 – ドライバー – 会社で成り立っている。
お客様がいなければ配車係もドライバーも会社も生きていけない。
お客様の利益だけを優先してしまうと、会社もドライバーも困ってしまう。
ドライバーの利益だけを優先すると、お客様と会社は困ってしまう。
会社の利益だけを優先すると、ドライバーとお客様が困ってしまう。
という図式になる。
という、三者の関係の中で、その困ってしまうを解決するのが配車センターなのだ。だから「センター」と言う。
社会の公器として
公器と言われるタクシー事業なのだけれど、時として会社の利益だけを考えてしまいそうになる。お客様よりドライバーに忖度してしまう場合もある。ドライバーが困っているのにお客様を優先してしまうこともある。
そういった偏よりがちな方向を、修正しながら常に良い方向に導くのが配車センターの任務だと思っている。
だから、上でも下でもなくて、たまには下になり、たまには上になりしながら、ジャッジしてゆく審判みたいなものかもしれないと、思っている。
そして、本当は、だれよりもその三者の利益を考えている人を、無線係というのだと、思っている。
だから、たまには会社側に立つこともあるし、お客様の困ってるを解決するときもある。また、ドライバーに寄り添って、つまらない苦情は一蹴するし、いつも待たせるお客様は配車を遅らせたり、困った人は配車をしないようにするのだ。お客様と喧嘩しているのは、そういう時なのだ。きっと。
最後に
ということで、お客様からの電話での配車依頼をタクシー車両に伝える業務、とも言えそうなのだけれど、事はそれほど単純でもない。そして地方の配車センターは、毎日毎日闘いなのだ。
それと、上とか下と言う場合、地方のタクシー会社だと、無線係と管理者を兼任していたり、あるいはドライバー経験者が無線係だったりするので、「誰だと思ってんだ」みたいな上からの先輩が多いかもしれないね。
ジム・ジャームッシュ監督の「ナイト・オン・ザ・プラネット」
これを観てタクシードライバーになった、って人いる?
ちょうど、いま、ミッドランドスクエア シネマで上映中。