命日
父の命日に母親から荷物が届く。
米とか乾麺とか餅とか・・・。
「ちゃんと食べているのか」、父親の口癖だった。ボクたちが子供の頃には、結婚式やお祝いの席の料理を持ち帰ってくれていたりもした。
「届いたら電話をください」という手紙が入っていた。
「今日は命日だったね」なんてボクが言うと、母は泣き始めた。ボクもコトバが出なかった。コトバが涙にかわることは分かっていた。目と喉と耳は同じ神経につかさどられているから・・・。
13回忌も終わり、20年近い歳月が流れてしまったのだけれど、母の毎日はまだ父との会話の中で存在しているのだろうと思う。毎朝墓参りに行くことが彼女の人生になってしまっているのだろうと思う。そうしてボクたちに家族ということ、それは人の在処ともいえることなんだろうけれど、そのことを教えてくれているのだろうと思う。
「すべては人のために」
そう父は教えてくれた。
母は、その教えの一番の実践者になった。
たぶん、ボクには無理だと思う。滅私なんて生き方は宗教家でもできはしない。なにかと人は欲がでる。利己的だから生きてゆける。
ただ、そういう規範みたいなものがあれば、その利己が中和されてちょうどいいぐらいになるのだろうと思う。利己でもなく利他でもなく。
そう父が教えてくれたように思う。命日に。
ボクは餅を食べている。
ボクは幸せなのではないかと思った。こうして飢えも餓えもしていないのだから。こうして不自由なく生きているのだから。そう思ったら、なんとなく、なんとなくなんだけれど、ほっとした。
父親がボクの一番の理解者だったのだろうね。
病院に見舞いに行くと「食べているのか」と自分の病気のことよりもボクの生活のことを心配してくれていた。もうそんな食べることのできないような年齢でもなかったのだけれど、そしてもうそんな時代でもなかったのだけれど、いつもいつも「食べているのか」と心配してくれた。
父親が病気になり入退院を繰返すようになってからボクたち父子は面と向かって、そしてゆっくりと話せるようになった。それまでは少し怖くて、少し嫌いで、少し面倒くさい、と感じていた。母親がいないと家でも何か気まずい時間が流れて、沈黙することが多かった。