父の日

父親がボクの一番の理解者だったのだろうね。
病院に見舞いに行くと「食べているのか」と自分の病気のことよりもボクの生活のことを心配してくれていた。もうそんな食べることのできないような年齢でもなかったのだけれど、そしてもうそんな時代でもなかったのだけれど、いつもいつも「食べているのか」と心配してくれた。
ボクたちは仲の良い父子ではなかったし、今時の親子のように揃って旅行に行ったこともなかったし、買物に出かけたなんてこともなかった。それは時代のせいでもあったし、貧困のせいでもあった。
家にはいつも誰かが父を訪ねてやってきていた。「兄貴」と呼んで慕っていた人もいた。誰だか分からない人が生家の近くに暮らしていて、その人の面倒をみていた。盆踊りの音頭も歌っていた。父親はボクの父親ではなくて、みんなの父親だった。そうした思いが、たぶん、父親にたいしての嫉妬みたいなものになっていたのだろう。
父の日にはそんな父のことを思い出している。それがボクの父の日。

父親が病気になり入退院を繰返すようになってからボクたち父子は面と向かって、そしてゆっくりと話せるようになった。それまでは少し怖くて、少し嫌いで、少し面倒くさい、と感じていた。母親がいないと家でも何か気まずい時間が流れて、沈黙することが多かった。
父は病院で死んだ。まだ60代前半だった。10年間入退院を繰返しての死だった。病状が少しよくなると「家に帰りたい」といつも言っていたし、医者の許可が下りれば外泊でも帰っていた。家に帰ったとしてもただベッドに横たわっているだけで、何をするわけではなかったのだけれど、自分が生まれ育った土地に何かしらの治癒力を感じていたのかもしれない。遠く聞こえる潮騒や運ばれてくる海の香り、水や空気の味や感触みたいなものに癒やされていたのだろうと、思う。

父の日に
もし父親が生きていれば、ボクはここにいなかったかもしれないと思う。それは分からないことだとしても、きっともう少し違った形で家族とボクの距離が存在していたと思う。
思い出す春の日、ひとりぼっちの夜…。
さてと、寝るか。
アジの刺身

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