忠臣蔵の時代なのだ

会社を愛して、そして帰属感を覚えて、忠誠を尽くしている、という人も多いことも確かであって、そういう労働価値観のもとに日本の企業が成長を続けてきたのだと思う。そういった「武士道は忠誠なり」というような忠臣蔵美徳論理基準が、高度成長した一因(要因とまでは言わないけれど)だとも思う。

トヨタというゾンビ
ところが、トヨタのために働いているという実感がある人はどれぐらいいるのか、ボクは疑問を抱いているのですよ。会社のために頑張るっていうのは、至極当然のことなのですが、これだけ会社というものが大きくなってしまった状況では、トヨタを実感することは、かなり困難になっているのではないかと思っています。
ゾンビに恋しているようなものなのかもしれませんね。期間従業員であったボクは、「会社のため」なんて思ったことは、はっきり言って一度もありませんでした。だって、そうでしょう、トヨタってのがなんだか分からないのですから。わからないと言うか見えないですからね。登用されて社員になると、いきなり霊媒師になってそのゾンビが見えてくるのでしょうか。スイッチは「忠誠心」なのでしょうか。

責任感とか
ボクは、複雑なことを言うつもりはないのですよ。何度か書きましたが、働くって言うことは、何もトヨタという怪物のためじゃなくて、それはやはり自分のためだろうし、少し広げて同じ組の人のためとか、GLのためとかTLのためとか、ええ、ま、仲の良い社員のためとか、同郷の社員に恥をかかせるわけにはいかないとか、そんな身近なことなんだろうと思うのです。

なんて過去にも書いたのですが、何も期間工の労働観というのではなくて、多くの日本人が(働くということも含めての)行動する基準というものが、実はこれと同じで「国家のため」とか「家族のため」「会社のため」とかということよりも自分自身のために、また『金儲けや権力・名声の獲得といった、自己に外的な目標をめざして行動するよりも、自分の興味・関心にしたがった行為のほうを望ましいとみる』(刈谷剛彦『階層化日本と教育危機』)という内発的動機づけによって、行動が決定されるという時代になっている/なって久しいのでしょう。
忠臣蔵美徳論理基準もなにも日本人から消失してのではなくて、その内在的動機づけ(自分の興味・関心)によるものならば、恐らく討ち入りもするのだろうと思っています。「それがカッコいいんだよ~」なんて理由もあるでしょうし。
ライン作業には(労働にはと言ってもいいでしょうが)、なにも忠誠心なんてのは介在しなくてもいいのでしょう。標準作業書(マニュアル)通りに動くだけで良いのですから。そしてタクトタイムで拘束されている以上、ポカ避けなどの不良品発見が容易にされるような仕組みがある以上、作業員の意思というのはほとんど介在しないものですから。
もの作りから魂がなくなったのがライン作業なのでしょう。その魂には忠誠心も含むということです。

確かに仕事は真面目にやってるけど、でも、それは決められた作業手順に従ってやらされているだけで、ラインに乗ってしまえば、他にやりようがないですからね。

と、北斗星さんのコメントの通りだと思います。
また少し前に書いた

偏差値教育とライン作業についての一考察
その生産消費システムでの等質化要求とともに、もうひとつ重要な行動変化として偏差値化があると思います。
偏差値は「ある特定の母集団の中における本人の学力的な位置を表している」ので、とにかくまずは隣の彼/彼女よりも良い成績であるということに対して最大限の努力をするということが行なわれるのでしょう。

という偏差値作業はとても近視眼的なもので、歩さんのコメントと同質なものなのです。

期間工の場合、それは満了金だったりするわけですが、それは長期の見方であって、1R、1日って短いスパンでの動機付けは、自工程でいかに早く、効率よく、不具合を出さずに仕事をするか…みたいな部分だと思うんですよね

そしてそれは通りすがりさんのコメントで指摘されている

他の方のコメントにあるように、トヨタは日本人気質の最大の美点である、「会社関係なく仕事には最大の努力を払う」
という生真面目さ、誠実さによって品質を保っている会社だと思うの
ですが、今後そういう日本人気質の美徳が失われたら・・・

という美徳と、もう一方に対峙している「恥の文化」もmade in Japan という品質を保ってきた要因だと考えています。
そしてその根本には「会社に関係なく」というよりも、会社の中で細分化された関係での人的誠実さ、ようするに人間関係も大いにあるのだろうと思っています。全てではなくて、個々人にはそれぞれのモチベーションやインセンティブがあって、それはいかなるものであっても、常に自己防衛という本能がある限り、どんな世の中でもどんな時代でも、そしてそれが多数派か少数派かということにも関係なく、あるものだと思います。
自分自身への忠誠心の高まり、それが今だと思っているのですが…。自己忠臣蔵の時代、なのかもしれないですね。
#自己忠…なんてさ:)

1件のコメント

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