九州吹き戻し

雨…。

世間とは隔離された車の中。雨の日のドライブが好きな人は、きっと、こんな世界を好きな人なんだろうなあ、なんて考えている。雨の日じゃなくても、ドライブが好きな人、あるいは車の中が好きな人ってのは、弧絶した空間が好きなんだろうね。例えば、押入れの中とか、テントの中とか…。

九州吹き戻し

熊本のKさんから久しぶりのメール。まだ残っている里心が痛痒く出てくる。なんというか、大人ニキビみたいなものなのか、あるいは、年を重ねるごとにその思いは募る幼児がえりみたいなものなのか…。

職業柄とは言わないのだけれど、こちらに来て親しく酒を飲むなんて知人も出来ないし(たぶん、それは職業柄じゃなくてボクの人柄だったりするのだろうけれど)休日なんてのはほとんど引籠り状態で、たまにカメラを連れて散歩したりするのが、気晴らしだったりする。

そんな休日で欲というものもほとんどないものだから、消費もあまりしない。消費をしないというか、そんな生活に満足しているようでもある。お金を使わない体質なものだから、今のような給料でもやっていける。というか今のような給料(年収200万円程度)なもんだから、体質が変わったのかもしれないのだけれど…。

面倒なことが面倒なのだ

大変満足していて居心地が良いかというとそうでもなくて、それぐらいの給料で、嫌な思いをするのなら、地元に帰るなり転職するなり、なんて考える時もあるのだけれど、引っ越しだ、就職活動だ、その前に辞表だ、なんてことが面倒くさい。

欲というのもだけれど、競争とか出世なんてことにも無関心で、とにかくこのまま何もなく、出来れば60歳ぐらいまで生きていたいものだと思ったりしている。その60歳ぐらいの時に、まだ母親が生きていて、せめて死に目にぐらいは会いたいもんだと、まあ、そんなことを思っている。

競争とか無関心ではあるのだけれど、性格的なもの、負けん気の強さみたいなものが、たまに頭をもたげて、「ふん、てめえなんぞに分かってたまるか」なんて気持ちが態度に出たり、嫌味を言ったりもする。そんな時にはまったく自分が嫌になる、ってのもこれまた性格なのだけれど。

無気力人生

無気力相撲、じゃなくて、無気力人生のようでもあるけれど、結局はそれが力士生命、じゃなくて人生をうまく渡る、まあ、渡世術なのかもしれない。無気力さが社会に蔓延するとろくなことがないということぐらいは、分かってはいるのだけれど、真面目にやっても報われないような世の中じゃあ、そんなことを思う人が増えてくるのも分かる話なのだ。

痛い目に合うよりは、旨く転べば人生バラ色ってもんで、そういったぬるま湯の中の人生が楽でいいや、なんて多くの人が思っているに違いない。

そんなぬるま湯に入ってしまっては、もう抜け出せるわけがなくて、正義なんてものも簡単に捨てられるようになるってもんで、欲望や世間体や人間としての自負や矜持なんてものもさっぱり捨ててしまって、ゆるゆると生きていたいと思うのだろう。

豊橋吹き戻し

一度は九州吹き戻し、そして今は豊橋吹戻し、どころではなくて、もうすっかり動くことを諦めて、このまま安気に暮らしていたいなんて思っている。

夢も希望も欲さえも捨ててしまって、休日は250円のワインとか合成酒とかを飲んで酔っ払っては、取りあえず死ねないという理由で生きるのも、まあ、そんなに悪くはないかと思ったりもする。

雨の日の車の中のように、世間と弧絶した空間にいて、自分と他人を比較しなければ、今の生活だってそこそこ上等なのかもしれないと、そう思うんだけれどさあ。ま、いいか。

立川談志プレミアム・ベスト 落語CD集「松曳き」「九州吹き戻し」
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第245話 落語「九州吹き戻し」(きゅうしゅうふきもどし)

ムーンライト九州に乗って博多発20時39分発ムーンライト九州 ムーンライト九州に乗って大阪へ、そして米原、大垣、豊橋、田原と戻ってきました。 大阪には6時34分に到着するので、10時間の夜行列車の旅です。ほ…
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ムーンライト九州に乗って

2件のコメント

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    焼山さん、こんにちは。
    役場に同級生や近所の人が勤めていて、なんてことは田舎ではよくある話ですよね。ボクの田舎もそんな感じかなあ。
    狭い世間が嫌でたまりませんが、やっぱり里心みたいなものは、たまにおこります。もうずいぶんと帰ってないのですが、夢なんかに現れることもありすしね。
    父親の墓参りもしたいし…。
    ここで運転手をするぐらいなら、別にどこでも良いんじゃないかと思ったりもします。四国でも九州でも。
    この街の地理なんてのもほとんど知らないで始めた仕事ですしね。今も分からないですけれど。
    定年とか60歳になったら、また歩きたいなあ、なんて思っていますが、どうせなら明日にでも出発するかあ、なんてことも思ったりします。

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    郷里への想いが伝わってきます。そして「遠くの方」への愛情も…。
    帰りたくなんかない。
    でも…。
    私は年内に吹き戻ります。
    一度も同窓会にも出たことがない郷里に。なんとなく噂が流れていることも知っている郷里に。住民票を移しただけで「○○が帰ってきたぞ」と役場の連中が言いふらしてしまうような郷里に…。(説明するのがめんどくさいので手間が省けて助かるんですがね。実話です)
    好きで帰る訳ではないのです。凄く嫌なんですよ。会いたくない人に会って嫌な思いをするに決まってる。根掘り葉掘りと聞いてくるに決まってる。
    でも離れて養育するために自分の生活を緊縮すると、どうしても立ち行かなくなって…。
    言い訳です。
    帰りたいのです。帰る言い訳が見つかっただけです。帰ればなんとかなるんじゃないかという楽観と、「もうどうでもいいや」という諦めと、歳をとったことによる「寂しさ」みたいなものが決意させたような…。
    笠山さんの「吹き(戻し)」を読んで、いまそんな気がしています。
    笠山さんが休まれた東屋の前に、別々の数台のキャンピングカーが停まって(泊まって)いました。1台は仙台ナンバーでした。
    へたりこむようにリュックを降ろす若者もいました。
    笠山さんもいつの日かきっと再び訪れるはず…。
    「その時に歩ける身体でいよう」
    目標を頂きました。

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