潮騒

春一番なのかなあ…、風がせっかくの春のぬくもりを一気に吹き飛ばしてゆく。これぐらいの日にボクは、初めて渥美半島にやってきた。いや、実際には初めてではなくて、20年ほど前に一度訪れたことがあったのだけれど、ボクの記憶の中にはそこが田原市ではなくて三ヶ日あたりにすり替わっていたので、何年もの間、これぐらいのあの日がボクの初めての渥美半島になっていたんだ。

神島に行きたい、その頃からずっと思っているのだけれど、いまだにその思いはかなわずに、枝豆をつまみに熱燗ですっかり出来上がっている朝には、もう今日も八割方終わったという、なにか虚しさの反対側に存在する満たされたものがあったりして、それはそれで幸せだったりする。

3月だ。どう考えても3月だ。これまた平成27年という年も八割方終わったという、幸福感が口の中に広がる。どう考えても年収300万円ないんだが、この朝の幸せってのはなんだろうと思う。路上には乞食もいなく、空には戦闘機も飛んでいない、空腹はわずかな時間と距離で満たされる。平和だ。たとえボクが明日失業したとしても餓死をするなんてことはない、泥棒をして飢えを凌がなければならないということもない。道に倒れれば、きっと、誰かが救急車を呼んでくれるに違いない。

そういった安心感からの、この国のまったりした平和からくる幸福感ではなくて、ただ3月がやってきたということの幸せだったりする。ボクが求めているのも、そういった普通の幸せだったりする。

両親がボクに求めていたものは、きっとそんな幸せではなくて、たとえば「普通」なんていわれる生活、そして幸せだったのだろう。賃金でいうならば平均的な500万円なんて数値で表される幸せだったのだろう。そして結婚して子供がいて家庭の中で暮らす、そんな普通の生物ならば得られるであろう幸せを願っていたに違いない。

今のボクとは違う、まるっきり違う生き方を望んでいたに違いない。それでも、ボクは自殺する勇気もなく、心中する情緒もなく、人を平気で裏切る不実さも、そして人を殺める残虐さもなく生きてきたのだから、それはそれでやっぱり幸せであって、それはそれでと親の願いだったに違いないと思う。

経済とか国力なんてことを考えれば、キチンと働いて家庭を持って家族を増やしてゆくことが正解なんだろうと思う。消費する美徳なんてものが蔓延している社会において幸せの度量衡はお金なんだろうと思う。

でも、どう生きれば幸せかなんてのは、きっと誰も分からないのだろうと思う。人はそれぞれの苦悩の中で生きているのだろうし。普通の幸せのカタチである家庭が不幸の原因にだってなるのだし。そのお金のために悪いことが起きるのだろうし。

「どんな時世になっても、あんまり悪い習慣は、この島まで来んうつに消えてしまう。海がなア、島に要るまっすぐな善えもんだけを送ってよこし、島に残っとるまっすぐな善えもんを護ってくれるんや。そいで泥棒一人もねえこの島には、いつまでも、まごころや、まじめに働いて耐える心掛けや、裏腹のない愛や、勇気や、卑怯なところはちっともない男らしい人が生きとるんや」

三島由紀夫「潮騒」の新治のコトバだ。「善」ということよりもお金や試験の点数を大切にして、それが幸福の基準になったこの島国からは、男らしい男も、女らしい女も消えてしまったのだろうか、なんて、卒業式のニュースや殺された中学生ことを想いながら考えている。

今からでも神島に行こうか、なんて酔った頭で考えているのだけれど、どうも身体が動かないでいる。でもね、面倒くさがり屋にそして引きこもりがちな性格になったことを幸せに感じているし、そういうふうに育ててくれた親にも感謝している、朝なのだ。

レストラン山海形原店
定食ではなく刺身定食を食べた、レストラン山海形原店。

2件のコメント

  • blank

    前田二丁目さん、こんにちは。
    三海に行ったのは、去年の秋のことで、ラグーナも夏が終わって閑散としていた頃です。なんとなくフラリと行った、というか、形原の雰囲気が産まれたところに似ているもんで、たまに行くのですが…。
    刺身定食なんてのをたのむのは、年なのかなあ、なんて思いながら食べました。確かに懐かしい感じはしたかなあ。レトロというよりも、シックなという感じだったかなあ。お昼になったら混みだしたので、少し落ち着かなくなりましたが…。
    まあ、それでも、形原に行ったらまた寄ると思います。
    そういえば、三楽という食堂が札木あたりにありますが、あすこも全楽つながりなのでしょうか。フライ定食は満腹になり過ぎる感があるのだけれど、けっこうタクシー運転手も利用しているようですが。
    豊橋はいまだに食堂が残っている街ですよね。これも経営者の高齢化によって畳むところが出てくるのでしょうけれど…。
    今度の休みに「永楽」に行ってみます。

  • blank

    ご無沙汰しています。前田です。「三海」にいったんですね。「三海」はイイお店です。もし万が一「三海」が経営難になってしまったら僕が担保あり、いや担保なしでお金を貸してでもやめないでほしいお店です。(なーんてそんな金持ちじゃないけど)なぜそこまで「三海」が好きなのか?「三海」が好きな人は多分、みんな同じだと思いますが、「古くさい」いやこれは違う。「レトロ感」、これでしょう。行けば分かりますが安い店ではありません。ただメニューを見れば「なんでもありか」と突っ込みたくなるくらいあれもこれも揃っています。僕が好きなのは刺身とステーキの両方が一度に楽しめる「刺身ステーキ御膳」(だったと思う)です。こういうスタイル、もう絶滅寸前でしょう。この「いいや、両方一緒にしちゃえば」っていうのがもう、たまらん。好き。このメニューにあれもこれもある、というスタイル、昭和30年代、かつて豊橋の広小路にあったお店「全楽」がこういうメニューだったそうです。当時の飲食店は生ビールを提供する、というか提供できるお店が豊橋ではまだ片手で数えるほどしかなかったそうです。当時「全楽」はかなり生ビールを売ったようです。あと「お汁粉」も評判が良かったらしいです。店主の「木村隆男」自身がお汁粉が好きだったそうです。突然「全楽」は広小路からいなくなったんですが、店主の息子が前田町で「とんかつのきむら」を始めました。「とんかつのきむら」とひらがなで書いてある看板の下の方に小さく「全楽チェーン」と書いてありました。元「全楽」の従業員のなかには自分でお店を始めるひともいました。屋号が「◯楽」というお店がそうです。屋号のなかに「楽」があります。まだやってると思うけど豊橋商業高校前の信号を国道一号に向かって行くと、右手の向山小学校の手前の右手に「永楽」というお店があります。以前は市内に何軒かありましたが、今現在はどうだろ…いきなり長文ごめんなさい。「三海」を愛する男、前田でした。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA