ソープランドの待合室でボクたちは成人になった意味なんてのを考えていたのだ(再掲)

Tの奥さんがガンで亡くなったということをネットで知った。Tとボクは高校のときからの付き合いで、ボクの数少ない友人のひとりなのだけれど、ボクが住んでいた街を捨ててトヨタの期間従業員として愛知県に、まるで失踪したように移り住むようになってから、疎遠になってしまっている。それで奥さんの死のことも全く知らずに、一年ぐらい過ぎたある日ネットで知るなんてことになってしまった。

高校生の時にTとボクは無免許運転で隣県までオートバイでツーリングに行って、その帰りに逮捕された。一時停止違反が逮捕の原因になったのだけれど、検挙されるまでは長閑な春先のツーリングだった。捕まった瞬間に停学とか退学なんてことが頭に浮かんで、ボクたちは反省するというか、ただただうな垂れてしまって、そこで自分たちの無謀さを知った。

そしてTとは、このブログに書いたことがあるんだけれど、成人の日に一緒にソープランドに行った。同級生何人かに声をかけたのだけれど、結局ボクとTしか「行く」と手を上げなかった。ボクたちは、たぶん、もうこうなったらなにがなんでも「行ってやるもんね」と、へんな意地を出してしまって後には引けなくなっていた。

オートバイ事件はTの奥さんには話したことがあったのだけれど、結局ソープランド事件は話せずになってしまった。そんなことを話す話さないではなくて、みんなが元気だったころのことを懐かしく思っている。みんなが、というよりも、ボクにまだ人との繋がりがあった頃のことが懐かしくて、そしてTや息子たちの悲しみについて、なにも関わりあいを持てなかったことに情けなく思ったりしている。

思うのだけれど、ボクたちは人の向こうにある哀しみとか苦しみについての感受性が弱まっているんじゃないだろうか。人を表面でしか感じられなくなってしまっている。人は、苦しみや哀しみの日々の中にある、ということを忘れてしまって、さらに追い打ちをかけるように苦しめるようなことをしているんじゃないのかと、思っている。意図的ではないにしてもだ。

家族とか集団なんて意識が希薄になってしまっている。それが人の痛みに対して感受性を鈍らせている原因なのかもしれないと、ボク自身のことを振り返ってそう思うのだ。
今日、ボクは、長い闘病生活の後に亡くなったTの奥さんことを思い出している。成人式になるとTとのあの夜のことが思い出される。鶴見颪の吹く寒い成人式の夜のことを思い出している。

ねえねえ、Tとさ、こんなことがあったんだよ、なんて語りかけているのだ。

 

(再掲)

もう昔話といったほうがいいのだろう、そんなボクの成人式。

式は正月に行なわれたんだけれど、そんな式の思い出とか、中学生の頃付き合ってた女の子の思い出とか、その頃のボクのことなんかよりも、その夜に高校の同級生Tと二人で行ったとある温泉街のソープランドの思い出のほうが、よいうよりも、成人式といえば「温泉街のソープランド」、と毎年毎年、思い出してしまう。
#「温泉街のソープランド」って「学生街の喫茶店」みたいで、ちょっとアレですね:)

ボクたちは、その夜、成人になったというなにか強力な武器を持ったような感じがしていたのだろう。それは錯覚だったのだけれど、ボクたちは、ちょっと昨日よりはカッコ良くなったように思っていたんだ。

3時間ほど車で走ったところにある、その温泉街までボクたちは昔話なんかをしていたんだけれど、実はボクもTも、なんだか胸はドキドキで、それで多分、下半身もドキドキしていたと思う。それでもはしたなく「やるぞ~」なんてことは言わないで「ま、記念だからさあ」なんて、なんだか分からない理由を付け足していた。

その夜は、正月ということもあったのかもしれないし、成人式がその地方の多くの市町村で行なわれていたので、そういった新成人達が、たぶんボクたちと同じように「ま、記念だからさあ」なんて感じで、その温泉街にある数軒のソープランドと、何人かいる街娼と、そしてなんだか分からないお店の人と、その記念行為におよんでいたのだろうと思う。

ボクたちは、その街のそんなお店の並ぶ地域に行った。その前に似顔絵を書いてもらった。色紙に一枚1000円だった。その絵は今も実家にあるはずだ。ボクの顔は、「ま、記念だから」なんて表情を、例えば少し紅潮したものだったのだろうと思うのだけれど、その似顔絵描は、実際よりもハンサムにそしてそんなイヤラシサなんてのを背景にも写しこまないで、書いてくれた。

ボクたちは、待った。順番だから。

今考えると、それって、けっこうスゴイことだよなあ、なんて思う。

だって、数分前までは違う男の人が…なんてことなんだし、そのベットや風呂やH椅子なんてのにも、ボクの知らない男が使っていたのだから…。

待った。その間に待合室では、けっこうエロいビデオが映されていた。

薄暗い待合室、流れるエロビデオ…。

ボクたち、いや、Tはどうだかしらないから、ボクは濡れていた。

なんだか頭が痛くなった。

「ま、記念だから」なんて言いながら、ボクたちはもうすでにたっぷり4時間は発情していたのだから、限界みたいなものが、神経を圧迫していたのかもしれない。

その時、Tが立ち上がった。いきなりだったので、ボクは少し驚いた。

そしてボクの耳元で小さく「いったよ~」。って、ビデオでかい…。Tはその処理をするためにトイレに行った。トイレから出たらすぐに「お待たせしました」と声がした。ボクたちは、どっちが先だったか忘れたけれど、ほとんど同時ぐらいに、個室へと入って行った。

Tは、ビデオでイッタ後なのに、2度もイッタと言った。

若かったあの頃…。

成人式の夜。

ボクたちは、予定通り記念を手に入れることが出来たし、それは、こうしてあれからかなりの時間が過ぎた未来になっても、思い出されるような、かなり濃い記念になってしまっている。

濡れたパンツで、Hな匂いをさせながら、Tはお姉さんになんて言ったのかは、とうとう聞けなかったのだけれど、きっとTのことだから正直に「待合室のビデオで…、すみません」なんて言って、きっと忘れられないほどのサービスを受けたのだろうと思っている。

ソープランドの待合室でボクたちは成人になった意味なんてのを考えていたのだ

さよならだけの人生さ

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