集団的物乞い、kollektives Betteln
kollektives Bettelnとは「集団的物乞い」と訳せるドイツ語だ。
「今日の授業は自習です」。あれが4.11全日ストだったのかどうなのか分からないが、春、先生たちのストライキによる思わぬ自習にボクたちは喜んでいた。日教組の組織率の高い地域だったからか(今でもそうだけれれど)、たまに自習の時間があったように記憶している。
電車やバスのストは風物詩となっていて、迷惑というよりは、なんだかワクワクし血が騒ぐように感じた。そういう時代だったのか、そういう地域性だったのか、ボクの周辺ではストに反対する人もいなかったように憶えている。
集団的物乞い
もうこの国ではストライキなんてのは死語になっている。思想をなくし労使溶解し、非正規問題や格差、貧困問題の犯人であるにも関わらず、なんの反省もなく、なんの改善もなく、そうしてなんの行動もできなくて、ただ組合費だけを搾取し、自らの利益や出世の道具にする集団に成り下がっているのが、この国の労働組合の実態だ。
そうして問題が表面化したその後に、期間従業員を組合員化するどこかの大手自動車会社の御用組合のように、主犯であることを隠し、その罪も責任も放棄し、今度は組合費欲しさに善人面しすり寄ってくる。なんの組だか分からないしまつ。
確かに集団物乞いだ。
それどころか、組合費まで取り立てているのだから(それも給料からの天引きだから性質が悪い)泥棒だ。
kollektives Dieb.
タクシーのストライキ
三重県の三交タクシーの労組組合員らが「三重一般労働組合(ユニオンみえ)」に加わって結成した「三交タクシーユニオン」が来年1月4日にストライキを決行するというニュースを聞いたときに、「やっぱり自社組合では無理か」と思った。だって御用組合だし、どっちかというと会社寄りの思想で、kollektives Diebなのだから。
そして全自交とかの交通労連という産業別労働組合がいったいどういう了見なのか、労働者側につかないで沈黙しているというのも不思議な風景だ。三交タクシー労組がそういった産別組合に加入していなかったのかもしれないが、それでもそういう話を聞いたならば介入するなりの力を発揮しないと、やっぱり役立たずのkollektives Diebの謗りを免れない。
「ストライキ権を伴わない労働協約交渉は集団的な物乞い(kollektives Betteln)にすぎない」というドイツ連邦裁判所の判決こそ、ボクたちが待望している、そしてボクたちが忘れてしまった、労働組合の姿なのかもしれないと思うと、ただ組合費だけを徴収するだけして物乞いも出来ない労働組合は猛省すべきだと思うのだが・・・。
全国一般労働組合東京南部(@NUGWNambu)さん | Twitter)