共有地

共有地という限定された範囲での農業で、困るのは次の3点だろう。

  1. 不作
  2. 大豊作
  3. 収穫人が増える

不作でも困るのだけれど、大豊作になっら作物の値崩れが起きる。ついには、廃棄するということも。収穫人が増えるとと、供給過多になる。つまり、一人当たりの量が減る、ということになる。そのために、生産調整をすることになる。

生産量を増やし、収穫人も増やす。一人当たりの分け前も増やしてゆく。それが近代の共有地の経済だった。ところが、生産量を増やし収穫人を減らす、そして一人当たりの分け前を減らし、資本家に富を集中させている。それが、現在の経済になっている。経済というよりも美徳になっている。それを合理化とかコストカットなんて言う。この国の賃金が、その美徳により上がったかというと、違う。ボクたちの生活が豊かになったか、老後の生活が安心できるものになったかというと、それも違う。

共有地の悲劇

結局、悲劇は起きている。

タクシー業界も似たようなもので、運転士が困るのは

  1. 利用者減少
  2. 利用者増加
  3. タクシー車両増加

と言うことになる。なぜならば、収穫と同じで、一人当たりの分け前が減るからだ。タクシー会社、事業者は少し違う。困るのは利用者が減少することによる営業収入の減少だ。

これは、パイの分配(獲得)と言う話。そして、パイを大きくすることを考える。それに見合うだけの収穫人の数に規制をかける。

タクシー業界における供給過多、共有地の悲劇については、2002年の規制緩和政策時を振り返れば分かりやすい。

と言う経験則や経験知から、タクシーを増やすことに非常に警戒する。その忌々しい経験が、同業他社であろうライドシェアへの嫌悪になって現れる。

大豊作の時に

タクシー事業は、意図的に「供給不足」を引き起こしていた。それが、タクシー運転士のツイートによく現れている。具体的には「タクシーは待つもの」「荒天時、繁忙期、特需、待つのが当たり前」と言う発言が多い。

確かに、需給ギャップを解消することは困難だ。なぜならば、出来高制歩合給でのタクシー運転士の賃金が値崩れするからだ。さらに、供給過多による諸問題の忌々しい記憶が蘇る。

この悲劇を起こした原因は、需給調整と言いながら、「待つことが当たり前」にしてきた、タクシー行政の失敗なのだ。そしてその上に胡座をかいてきた、タクシー事業者の怠慢なのだ。

今、大豊作の時に、タクシー運転士不足、乗務員不足が起きている。そして収穫人である運転士は儲かり、事業者は儲からない、という新しい共有地の悲劇を起こしているのだ。

ライドシェアという収穫人

一般的に、大豊作の時には臨時に人を雇う。それは、トヨタ自動車でも同じだ。臨時工、つまり期間従業員や派遣社員で増産体制にする。ところが、タクシー業界には、法規制もあるが、その臨時工での雇用が難しい。派遣会社からなんて聞いたこともない。

営業区域、登録者制、運行管理、そのほか諸々の規制が邪魔をする。あと、会社側の考えのタクシー運転士が多いというのも驚いていて、ライドシェアで一儲け、とか、ビジネスチャンス、何て考えの人はおらんのかね?

おそらく、農耕民族的な保守性が共有地や共同体を抜け出すことに対して拒否反応を起こすんだろうなあ…?…、と、共有地の経済、タクシー業界について考えたのだが。

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