大きい荷物
『大きい荷物』は吉行淳之介さんの短編集『目玉』に収められている。その小説は、タクシーに乗る場面から始まる。
病院の玄関のところを出ると、空車が二台停まっていた。
それから、“私”は、次のように続く。
客待ちしているタクシーに乗ると、運転手は不機嫌になる。こちらも居心地悪いし不愉快なので、通りまで歩いて流しの車を拾った。
このように考え、そして通りまで歩く人、いや、それどころか、利用しない人もいるのではないだろうか。結局“私”は、
車のシートに腰をおろし、
「近くて悪いけど」
と、声をかけておいた。
虎ノ門の交叉点の信号で停まったとき、
「あーあ」
と、運転手が腹の底から絞り出すような溜息をついた。
と言う「目に遭う」ことになる。それが次の一行である。
タクシーに乗ると色々な目に遭うが、こういう生ま生ましい溜息を聞くのは、はじめてである。
さすがに、乗客に聞こえるほどの「あーあ」はないなあ、なんて思う。これがクレームになったりする。
乗客対運転手
吉行さんのように乗客が気を遣うことも多い。それが「近くて悪いけど」になる。気を使わないとしても、人は自分の居心地や愉快さを希求する。そうだとすると、それを脅かされる、あるいは、その危険性があるものに対して、警戒をする。つまり、強気の態度になる。
運転手も同じで、警戒する。ある時は恐怖心が加わる。一触即発の空気が醸成される。その発火装置が、例えば「近くて悪いけど」だったり「あーあ」だったりする。
具体的には、
「近くて悪いけど」
「悪けりゃ乗るなよ」
となる。さらに、その警戒心vs警戒心が「遠回りしているんじゃないか」と言う猜疑心に変わる。運転手も同じで「乗り逃げするんじゃないだろうか」になる。さらには性差別、職業差別なんてことに発展する場合もある。
大きい荷物
大きい荷物とはタクシーの隠語で「凶悪犯」を意味しているそうだ。(知らんかったなあ)「十年くらい前だったかな、タクシーの運転手さんにたずねて、教えてもらった。」と、そのことについてタクシー車内で運転手と会話する。そして家にたどり着く。
“私”は三十年前の手帳を見たくなって整理箪笥の引出しから持ってくる。そして、そこに書いたことを思い出している。その中に、
『物真似の男。
タクシー運転手』
の二行がある。それがなんなのか思い出せないでいる。
昭和63年6月の話。1989年だから今から35年ほど前のこと。その頃から、タクシーに乗ることが、大きな荷物になっていたのかと…。
目玉(新潮文庫) 電子書籍: 吉行 淳之介: Kindleストア
3月4日
昼食:おろしそば、いつかのカレー
夕食:ちゃんと拵えただし巻き卵、鮭の塩焼き、野菜酢漬け、豆腐と野菜の味噌汁、日本酒1合
出費:1438円(食費A)
『バーバー』コーエン兄弟
このDVDには、モノクロ版とカラー版の2枚セットなんだけれど、モノクロ版の方を観てしまうのは何故なんだろうなあ。と言う、自分の罪とは違う罪で罰せられる男の悲劇。
お昼にその辺を散歩。今日(5日)は雨の予報。そろそろ雨が降り出しそうな11時前…。