補陀洛、大龍寺にて(7日目の3) 2008年10月25日 四国遍路 迷故三界城 補陀洛とは「《(梵)Potalakaの音写。光明山・海島山・小花樹山と訳す》仏語。インド南端の海岸にあり、観音が住むという八角形の山。日本でも観音の霊地にはこの名が多い。補陀落山(ふだらくせん)」。 その桃源郷を目指して[…] 続きを読む
遍路とは…登山なり?(7日目の2) 2008年10月25日 四国遍路 迷故三界城 思っていた通りの難所だった。いきなり急登、直線距離で2キロ少しを500メートルほど高度を上げてゆく。何も考えられなくなる、ただ足を前へ身体を上へと上げてゆく。その状態で思索するなど不可能だと思った。肉体の苦しみ痛みが、精[…] 続きを読む
コンビニ巡礼(7日目の1) 2008年10月25日 四国遍路 迷故三界城 5時30分起床。同じ頃におじさんも起き出した。ママチャリ遍路の女性ふたりもテントの中から声が聞こえていた。洗顔をする。缶コーヒーを飲む。朝食は昨日お昼にローソンで買っていたおにぎり2個。賞味期限はとっくに過ぎていた。 無[…] 続きを読む
ママチャリ遍路そして眠れぬ勝浦の夜だった(6日目の3) 2008年10月24日 四国遍路 迷故三界城 16時前に二人の自転車、ママチャリ遍路がやってきた。 どちらともまだ20代の女性。ヘンロ小屋の横に自転車を着けると、ひとりが言った「ここは泊まっても良いところですよね?」 「良いんじゃないですか」とボクは幾分不機嫌な声で[…] 続きを読む
善根宿(6日目の2) 2008年10月24日 四国遍路 迷故三界城 善根宿、「ぜんこんやど」「ぜごんやど」と言われる遍路用の宿だ。無料、あるいは300円や500円という無料同然の宿。 善根 - 新纂浄土宗大辞典 諸々の善の根となるもの。それが本となり種々の善を生じるもの。特に無貪・無瞋・[…] 続きを読む
同行二人(6日目の1) 2008年10月24日 四国遍路 迷故三界城 「同行二人」とは、お大師さまと常にふたり連れということ。 お遍路をはじめると、様々のところで目にするのが、この「同行二人」。「同行二人」とはお遍路がお大師さまと二人づれという意味です。遍路では一人で歩いていても常に弘法[…] 続きを読む
恩山寺前バス停で、ヤモリとクモと、ボクとゴキブリと(5日目の3) 2008年10月23日 四国遍路 迷故三界城 地蔵峠で雨は降り止んでいた。歩くことの苦しみや痛みがボクの哀しみを分散させていた。「逢いに行く」という気持ちもその苦痛をやわらげていたのかもしれない。行くため歩くのではなくて、行かなければならないから歩くのだ。 県道20[…] 続きを読む
ユリさんの死(5日目の2) 2008年10月23日 四国遍路 迷故三界城 ユリさんの死、それを告げるメールがこのタイミングで届くことに、怒りのようなものを感じていた。 ボクは地蔵院前の公園のベンチで南の空を見ていた。陰雲は相変わらず時間をも隠蔽していた。それでも、時は流れていた。ボクはそこにい[…] 続きを読む