善根宿(6日目の2)

善根宿、「ぜんこんやど」「ぜごんやど」と言われる遍路用の宿だ。無料、あるいは300円や500円という無料同然の宿。

善根 – 新纂浄土宗大辞典

諸々の善の根となるもの。それが本となり種々の善を生じるもの。特に無貪・無瞋・無痴は三善根と呼ばれ、あらゆる善の根本と考えられている。すなわち『大智度論』に「善根とは三善根にして、無貪善根・無瞋善根・無痴善根なり。一切の諸の善法は皆三善根より生ず」(正蔵二五・二八二上)というように、三善根から一切の善法が生じるといわれる。これとは逆に貪・瞋・痴の三つは三不善根三毒といわれ、あらゆる不善の原因になるとされる。

善根宿とは – コトバンク

修行僧や遍路、貧しい旅人などを無料で宿泊させる宿。宿泊させることは、自ら巡礼を行うのと同じ功徳があるとされた。

また「無財七施の修行」という、お金がなくても誰でもできる行い中に「房舎施」というのがあって「自分の家を一夜の宿に貸すこと。空部屋が無くて断わられた後続の遍路に相部屋をすすめる」(「四国遍路ひとりあるき同行二人 解説編」より引用)ということから、宿を貸すということも修行のひとつとされてきたのだろう。

善の人たち

現在では一夜の宿に自分たちの住居を施すということ(民泊)はない。今は、「善根宿」として作られた施設にことを意味する。誰でも宿泊できる場所があることが奇跡なのかもしれない。排除アートのように、公園で眠ることさえ許されない世の中だ。

四国を歩いていると、その存在を知らなかったとしても、どこかでそういった宿に巡り合うのだろう。ボクも実は知らなかった。そして、6日目に初めて教えてもらった。

ネットで調べれば、その数の多いことに、こうして帰ってから気が付いた。のだけれど、あまりそういった情報を仕入れて遍路に出たわけではなかったし、そうすることが遍路ということを楽にしてしまいそうにも感じたので、情報収集はあえて避けたのだけれど。ガイドブックはへんろみち保存協会が出している地図と解説だけだった。

その地図には善根宿が記されていなかった。それはきっと「初めからそういうものに頼っては、あるいはすがっては、何のための遍路か」ということなのだろうと思う。ボクはへんろみち保存協会の良心だと思うし、全て教えることが親切な行いでもないように考えている。不便であればあるほど四国遍路はその意味を深遠なものにするのだろうと思っている。

無料宿泊所一覧表

善根宿の存在と、「四国霊場八十八ケ所歩き遍路さんの無料宿泊所一覧表」という70ケ所ほどの場所が掲載されているリストがあることを、教えていただいたおじさんとの出会いは、その日にたどり着いた勝浦町のヘンロ小屋でだった。

ボクはもうそのヘンロ小屋に泊まることを14時には決めていた。そしてその敷地内にある公衆トイレでTシャツと靴下を洗濯していた。何もすることなく、通り過ぎる車の流れを見ていた。快晴。その時間にヘンロ小屋にいること、そのことへの罪悪感みたいなものもあった。学校をさぼった日の午後の想い出、そのときの感覚が蘇っていた。

「遍路とは歩くことなり」そのことを考えていた。「でも、ま、明日からへんろ転がしだし、転がされないようにするのも遍路なり」なんてことも考えていた。「歩いて遍路寝て遍路・・・」・・・・・・「うしろすがたのぐれてゆくか」なんて日記に書いて笑っていた。

善根宿、勝浦へんろ小屋でテントポールを洗濯竿にしてTシャツと靴下を干しています

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