生々死々去々来々転々(44日の3)

◁前 目次

無上甚深微妙法
百千万却難遭遇
我今見聞得受待
願解如来真実義

開経偈だ。そしてその現代語訳は以下の通りなあのだけれど…。

最高にして深遠な(仏陀の説かれた)真理には、どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難しい。しかし私はいま(仏教に)出会ってその教えに触れることが出来た。願わくは仏陀の説かれた真理を体得したい。
開経偈-真言宗のお経(在家勤行式解説)-真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

結局、なにも体得できないままボクは高松自動車道鳴門パーキングエリアにいた。そこに立つと風景、風も光もそれまでのものとは全く違って見えた。文明の中にいるといことが実感できたし、それは確実にボクを涅槃ではなくて、混沌へと運び去る大河のように感じた。

高速バスから徳島市方面
(さらば四国(高速バスから))

また迷い込んでしまうという予感もあった。歩いても歩いても道ばかり。山頭火の言う「人生即遍路」がそこで分かったように思った。人生なお遍路、人生さらに遍路、なのだ。

バスを待つ間にパーキングエリアのトイレで髪を洗った。鏡に映った遍路姿のボクは、日に焼けて髪も菅笠の型がついてボサボサで、顔も洗ってなかったので目やにまで着いていた。その姿をしていなければ、ただの小汚いオヤジだった。

バス停でパンを食べた。9時前にバスが来た。それに乗り込んだ。買ったチケットの便とは違うものだったけれど、運転手が「もう乗る人がいないので良いですよ」と乗せてくれた。バスには5~6人乗っていた。ボクは前から2番目の椅子に座った。フロントガラス越しに風景が拡がった。

本線に合流するとすこしして眠くなってしまった。そして眠った。目が覚めた時には明石海峡大橋を渡っているところだった。神戸の街が見えた。

文明の匂いがした。
欲望の香りがした。

ボクは少しの間、その風景をまるで外国へ行ったときにランディングする飛行機の窓からの景色のように眺めていた。ずいぶんと見慣れぬ風景だった。同じ国だとは思えなかった。とつぜん自由の女神が見えるのではないかと思った。

感覚がぼやけていた。そして橋を渡りきったところで感じた。「戻ってきた」と。よく分からない44日間だった。全てが、例えば眠っているのかということさえも曖昧な感覚だった。そしてバスの中はなぜだか安心できる場所だった。ボクはまた眠くなった。そして寝た。戻ってきた場所、そこがボクの居場所のように感じた。

次に目が覚めた時にはもう大阪市内だった。

11時に難波駅に着いてボクは、南海電鉄高野線に乗って極楽寺駅、そこから高野山ケーブルカーに乗って高野山に行った。高野山内1日フリー乗車券を使って、ぐるりと回った。

それからまたケーブルカーに乗って極楽寺に下りて、そして電車を乗り継いでその日のうちにアパートに戻った。遍路姿のまま地元の駅からアパートまで歩いた。

四国遍路が終わったと感じた。アパートに着くと同じ位置に同じものがあった。なにもかもが同じだった。そしてボクも同じだった。戻ってきたと感じた。それだけのことだった。

(完)
「四国遍路」遍路日記はここで終わります。

ありがとうございました。合掌。

明石海峡大橋から明石の街並み
(明石海峡大橋から明石の街並み)

◁前 目次

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です