コンビニ巡礼(7日目の1)

5時30分起床。同じ頃におじさんも起き出した。ママチャリ遍路の女性ふたりもテントの中から声が聞こえていた。洗顔をする。缶コーヒーを飲む。朝食は昨日お昼にローソンで買っていたおにぎり2個。賞味期限はとっくに過ぎていた。

無口に、そして少しの気恥ずかしさを伴って、朝の時間は流れてゆく。ゆっくりとすべり落ちてゆくように景色は変化する。

おじさんは6時すぎに出発した。「またどこかで・・・」と挨拶をした。

6時30分、その勝浦のヘンロ小屋を出発。ふたりは食事の準備をしていた。「もう、きっと会うことないね」とボクは言った。

「鶴林寺で会えるかもしれないですよ」
「そうだね・・・。じゃあ、またね」
「はい、お気をつけて」
「あなたたちもね」

と、ボクはサンクスへ向かった。(このあと鶴林寺手前の山道で、彼女たちが自動車道の坂を下って大龍寺に向かうのが見えた。「会う」ことはなかった)

コンビニ巡礼

札所巡礼、そしてコンビニ巡礼。毎日のように1度はコンビニを利用した。一日に数度ということもあった。買い物だけではなくてトイレも使わせていただいた。トイレを使うということは、何かを買うということだったのだけれど・・・。

コンビニがなかったら、歩き遍路はさらに困難になると思う。へんろ道沿いには商店が少ないし食堂も少ない。もしかするとコンビニが出店する前までは営業していた店舗もあったのだろう。お寺でトイレや水の確保はできても食料の確保はできない。参道に商店が並ぶところでは、食堂があるのだけれど。

またゴミの処理にも困ると思う。買い物、トイレだけではなくて、ゴミを捨てるためにコンビニに寄る。山道が多いへんろ道ではゴミ箱がほとんどない。コンビニがないとゴミを一日中ぶら下げて歩くことになる。民宿に泊まる人たちはそこで捨ててもらえるだろうけれど、野宿する人たちはゴミと寝ることになる。

普通の商店には店頭にゴミ箱がないし、お願いすると言うわけにもいかないし、やはりコンビニのあの店員との距離感みたいなものが楽なように思う。ゴミもトイレも水も、そして道案内も・・・。

ゴミは持ち帰る

へんろ道のところどころに、

遍路の旅で人生を見つめ直したい。そんな人々が全国から集まる四国八十八か所の札所巡りに、異変が起きている。ごみを路上にポイ捨てする遍路がいるかと思えば、山間部では不法投棄された粗大ごみが遍路を出迎える。「癒しの道」とも言われる遍路道だが、地元では「このままでは『嘆きの道』に変わってしまう」と心配する声も上がり始めた。
というゴミ問題を扱った新聞記事が貼られていた。

「ゴミは持ち帰る」という看板を見ても、歩き遍路、それも野宿旅だと「どこに持ち帰るんだよ~」と考え込んでしまう。結局、コンビニのゴミ箱を利用するしかなくなる。

食べる、そして排泄する、ということを繰り返して、そして歩いているのだけれど、ボクはコンビニの看板を見つけると、なんだかホッとしたし、路傍の丁石や仏、あるいは札所に辿り着いたほどの喜びを感じた。そういう意味では歩き遍路はコンビニを巡るのかもしれないと思っている。

ボクはサンクス勝浦町店に入った。「いらっしゃいませ」と言う声に心が慰められる。全てあることで不安が解消される。設定された心地よい室温が痛みを解放する、ように思えていた。「コンビニで涅槃を思うへんろ道」なんて日記に書いていた。

コンビニ巡礼を終わって、いや買い物を終えて、ボクは鶴林寺へ歩き始めた。

二十番札所 鶴林寺への道標「鶴林寺二十丁」
(鶴林寺までの道標 鶴林寺二十丁)

丁石(ちょうせき・ちょういし)

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