ツユゾラ
アジサイだけがキチンと梅雨の正装をしているサンヨネ魚町店あたりの路地の上には青い空が決まり悪そうにいる。その青の下に一筋の飛行機雲。そこをボクは歩いていた。まだお昼だというのに身体にはたっぷりとアルコールが染み込んでいて、花や空や老人たちとには溶け込めない自我が、ときおり、酒の香りをさせてため息とともに外に散らばってしまっている。ちょうどラリベラの洞窟寺院の壁画の上を這いまわっているヤモリのように、その神聖な場所の上を、逃げ場をなくしてはいた。
「きっとね、好きな人を好きになる、ってのが原理なんだよ」
と言ってみた。
「それだけのことなんだよね」
なんて付け加えてみた。
「だから、こちらが好きにならなければ、相手も好きになってはくれない、それが愛の原則なんだよ」
とまたつぶやいた。
「愛されるよりは愛することを、私が求めますように」
なんてまた付け加え、祈った。
ボクたちはいつも苦しみや悲しみの中にいる。そうしていかにそこから逃れられるかとか、癒されるかなんてことを希求している。
苦しみや悲しみの主体はボクとアナタなのだ。そうして愛も同じボクとアナタなのだよ。そう、人は人にしか傷つけられることはないし、その傷も人によって癒される。
アッシジの聖フランシスコの「平和の祈り」を思い出しながら路地を歩いていた。早く家に戻りたかった。キチンとその言葉を読み返したかった。そうしてボクの穢れみたいなものを、それはボクの思考の中に溜まった滓みたいなものなのだけれど、それを洗い流したかった。そのためにボクは今しがたサンヨネで酒を買ったのだ。
「ふ〜ん、それは酒を飲む方便だね」
と言ってみた。
「雨が降れば良いんだけれど」
と言ってみた。
「でも洗濯しなきゃいけないし」
「ついでに市役所も行かなきゃね」
「忙しい」
「たしかに忙しい」
「でもとりあえず酒飲むか」
ドアを開けて、窓を開けて、やっと「平和の祈り」を読み始めた。そうしてまたなにか途方もない自己否定の沼にはまり込んでしまっているんだけれど、それもそのうち眠ってしまえば、そうして夕方起きだしたときには、後悔とか喪失感みたいなものにすり替わっている、そう願っている。
「やれやれ」
関谷酒造「やさしいお酒 原酒」 1360円也
原料も「自然栽培米100%」とやさしいのだけれど、味わいも優し、そして強し。
あ、テルさん、こんにちは。
新しい職場はいかがですか?
雨は好きです。雨の日のドライブも好きなんですけれど。
洗濯物が乾かないのがちょっと嫌だったり、仕事だったら憂鬱だったりで。
2016年も、もう半分ってことに、驚いていたりします。
田原笠山さん、こんばんは。梅雨に入りましたね。梅雨は何というか、少し憂鬱な気分にもなりますが、雨の良い所も同時に分かって気候も微妙な時期ですね。6月というのは。