ethiopia1987

ボクたちはkenya国境沿いの街、ethiopiaのmoyaleにいた。

正確にはその街の警察に拘束されて取り調べを受けていた。

ボクもMもかなり不利な状況であることは分かっていたのだけれど、撃たれたりはしないだろうと思っていた。なぜならばethiopiaの農業省が発行した移動許可書permissionがMに発行されていたからだ。

ボクは、Mの友人であるというだけで、そういった許可書やビザなんてものは一切持っていなかったのだけれど余裕があった。Mの持っていた農業大臣の名前の入った紙切れのほうが護符や呪文よりもかなり安全を担保してくれることを知っていたし、正義や法律なんてものが紙幣の前ではいかに脆弱かということもすでに知っていたからだ。ボクの隠しポケットの中には300米ドルが入っていたし、後ろポケットは500birr、ethiopiaの通貨が入った財布で膨らんでいた。

そうして1時間ほどの取り調べの後、やはりボクたちの考えていた通り、ボクたちは無事に解放された。言い争いをすることもなく、そして賄賂を使うこともなく、「ゴアテンニャ」、それは「友よ」なんて意味なんだけれど、そんな挨拶と握手をたっぷりとして警察の施設を出た。

「どうする?」なんてお互い話した。
「とりあえず、なにか食べるか」

ボクたちは近くのブンナベッド、食堂兼飲屋兼売春宿に入った。

そうしてかなり質の悪いインジェラとワットを食べた。そしてそのままそこに泊まることにした。宿の質はインジェラと比例するということは分かっていたのだけれど、バイクの旅は、欲望を全部すてさせるほどボクたちを疲労させていた。

それにボクたちは国境を超えないことと明日朝にはmoyaleを離れることを条件に解放されていて、「あまり目立ってはいけない」存在だった。宿を探して動き回るなんてことをしないほうが無難だと思っていた。。

あの頃、独裁者Mengistu政権下のethiopiaは、ティグレやエリトリアとの内戦が激化していて、その数年前の大飢饉による餓死者の骸の上に戦死者が折り重なって埋葬される、そんな死と隣り合わせの日々の中で、人々の絶望は政治的恐怖によって相殺され、その精神的バランスを保っているように、ボクには感じられた。秘密警察の存在(あるのかないのか分からなかったけれど)が、不正不義、腐敗なんてものを抑止していた。その恐怖からの治安の良さが、ボクたちがそういった国情の中、ある程度自由な旅ができた理由だった。

翌朝、ボクたちはkenyaとethiopia国境の街をあとにした。南京虫に噛まれたところが、もうそれは身体中だったのだけれど、痒かった。

ethiopia children's Amba ethiopia1987

Mとの25年ぶりの再会の瞬間、ボクはあの日のことを考えていた。

というよりも、あの経験がボクたちそのもののなのかもしれない。たぶん、もう二度とあの街に、それもバイクで、そして拘束され南京虫に噛まれ、すえた匂いのインジェラと、腐敗臭のする部屋で眠ることはできはしない。永遠という過去の時間が、ボクたちの現在という無思慮な空間と、未来という刹那な時間を繋ぎとめるのだろうと、思った。

ボクたちは、ほぼ同じ体形で、ほぼ同じ髪型で、そうしてほぼ同じ話し方で・・・「とりあえず、なにか食べるか」と言った。

国道一号線沿いのガストの駐車場だった。雨が降りそうな空模様が、雨季を前にした高原の国と似ていた。まったく同じように、それはまるでデジャブのよに、ボクの前に現れた。そうしてボクはボクたちを俯瞰していた。

2時間ほど話して、それはあの頃とは違ってずいぶんと平凡な話だったのだけれど、「じゃあ、また来るよ」なんて言って、Mは車を東に向けて走らした。ボクはぼんやりとその方向を、少しの時間見ていた。

そして、どうして仕事なんかしているんだろう、なんて考えた。

どうして旅に出なかったんだろう、なんてつぶやいた。仕事のために仕事をしている。というよりも、やっぱりパンのために生きている。それはある意味正しいことなんだろうと思うのだけれど、なにか間違っているようにも思う。

あの日に帰りたいとは思わないけれど、それに思わないほうが良いけれど、そのあの日を作ることのできない毎日にどれほどの意味があるのだろうかと思った。

部屋たどり着いたボクは40リットルのザックに旅道具を詰め込んで、それを背負って部屋の中をぐるぐる回った。そうしたらなんとなくそれで満足した。それから少し寝た。あの日の夢を見た。

国道一号線沿いのガスト

モヤレ – Wikipedia

アフリカ情報

2件のコメント

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    テルさん、おはようございます。

    もう2月も後半ですね。なんだか早いですね。明日は222かあ・・・。

    面倒くさがりやなので、旅に出てもこんな感じで宿に引きこもったりするので、うだうだと長くなったりしました。テキパキと動ける人がうらやましくも思いましたけれど。

    というか、まあ、人見知りでもあるので、旅をするには向かないのかもなあ、なんて思っています。

    ホテルを取るのが面倒で野宿したりで。ダメですね。

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    田原笠山さん、こんばんは。今週も終わりました。私の居る部署では3月くらいまでは減産の様で忙しくないようです。私が満了する手前くらいまでは忙しくならないのかなあと思います。

    1987年、来年で30年前の事になるんですね。アフリカですか。1回行ってみたいと思う地域ですね。海外には1度行っただけでそれ以降は行っていないので本当は行きたいんですけれどもね…
    田原笠山さんは以前もブログで拝見しましたが色々な国に行かれているんですね。

    来週で2月もほぼ終わりますね。

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