春の海
宮城道雄の最後というのはとても悲しいもので、刈谷駅の近くで列車からの転落死でした。盲目であったためにトイレのドアと間違えてそのまま車外へと落ちたそうです。きっと風の音に誘われたのだろうと、ボクは思っています。刈谷の近くを通るといつもそのことを考えてしまいます。「春の海」はその宮城道雄の作曲、「春の訪れ」「遠砧」などもボクの好きな宮城曲です。
「あ、見えた」なんてボクは少しだけ叫んだのだけれど、ボクたちは何かを失くすために何かを拾う作業を日々繰り返しているんだろうね。それは、例えば、出会いだったり、それは、朝の時間だったり…。永遠なんてのは、生産と消費の繰り返しなんだろうと、そしてその結果として、大きくなるのは……思い出なんだろうと、ボクはあの観覧車を見ながら、やっぱり少しだけうつむいていたのだよ。
春ですね。昨夜の雨が空気を浄化してくれたという感じで、全きの春。そんなボクの休日は、少しだけ散歩、少しだけの会話、少しだけのやさしさという朝の1時間。街にはやっぱり完全な幸せというものが、そこいらに散らばっていて、キラキラと光っている感じ。眩しいのは春の日のせいだけではないのだろうと、少し考えました。
桜の花のあとは、もう藤の花も咲いていましたし、ツツジも咲く頃。高遠の桜なんてのはとてもスゴイらしいですね。高山祭りも始まったとかで、行楽の春でもあるのでしょうね。田原では緑化祭りをやっていました。一年前、Yちゃんが朝早くから無料の苗木をもらうために緑化祭りにいったことを思い出しました。たしかブルーベリーの木を配布していて…。あの木は大きくなりましたか?
さよならTさん や 再会 でTさんのことは書きましたが、二度目の満了を迎えないで、そしていったいどんな理由があったのかも分からないまま、Tさんがいなくなったのを聞きました。
ボクは…少しの間そのことについて言う言葉を、実はそこいらにやっぱり散らばっていたのですが、拾う余裕もないぐらいに、慌てていて、「どうして」ということばかりを、繰り返していました。Mちゃんも、驚いたらしくて、携帯の番号も変えてしまっているらしくて、もうボクたちには何が起こったのかを知ることさえも出来ないのだと思うと、やっぱり悲しくなったのでした。
途中で退職する人は何人もいると思います。田原工場でも昨年の夏だったかに1ヵ月に70人ほど退職したと受け入れ教育の時に話していました。
いろいろな事情や理由なんかがあるのでしょうね。ボクも「もう辞めた、もう帰るもんね」と呪文のように唱えますよ。その呪文がなにかを解決するものではないにしても、自分の声を聞くことで、なんだか少し元気になるような気がします。疲れてくると、そしてタクトに追われまくると、どこかで逃げたくなるのは当たり前のことだと思います。
人は時間によって生かされているわけでもないし、疲れるために生きているのでもないでしょうからね。
その時間の先、その疲れた後に……きっと何かがあるのかもしれません。何かがなんなのかはそれぞれがトヨタに来た理由にもよるでしょうけれど。明日が見える、と言ったほうがいいのでしょうか。その明日のために時間や疲労を引き換えているのでしょうね。
だから「がんばれ」とは言いませんが、それにがんばるというのは体に良くないので、少しだけ「明日は良いことあるかもよ」なんて、ボクはボクに言い聞かせているのだろうと「もう辞めた、もう帰る」なんて言っているのだろうと…考えています。
さよならTさん、今度こそ、本当に、逢うことはないのだろうね。二度とボクたちは話すこともないのだろうと。春に別れは切ないよね。
muko47さん、こんばんは。
ちょっと、コメントが遅れました。「期間工の恋(4)」を書いてから、前の組のMちゃんから呼び出されて…。
結局キーボードなんてのを、ボクは買うようなことになったのです。
いったいいくつまで期間従業員って出来るのでしょうね。やはり、期間中は体調不調なんかによる突発なんてのはあってはダメなんでしょうね。
それも4、5日というと長いですからね。確か5日になると医師の診断書がいるのではなかったかなあ。
年齢的なものではなくて、やはりそういうことのほうが重要視されるのかも知れないですね。50歳を過ぎてライン作業をさせるってこともないと思いますし?
幸せは、やっぱり「愛」があるかってことなのかもしれないですね。ま、帰る場所があるということは、幸せなのかもしれない、とボクは思っています。
GWを前にして私の組では期間工の同僚が4人も満了で去って行きます。
一昨日も1人、最年長(5?歳)の期間工 Mさんが満了しました。Mさんは2回目の期間工経験者ですが、昨日のFコンで「また、トヨタに来ますので宜しく」と云っていました。
しかし、GLやTLのMさんへのコメントの中には暗に「次は有りませんヨ」と匂わせるような微妙な言い回しが幾度となく含まれていました。
Mさんは期間中、体の不調を理由に2回ばかり4.5日間休んだことがありました。仕事の内容もその都度、支障のない工程へと移されたのですが、明らかにGL.TLが持てあまし気味なのが私には分かりました。
Mさんはトヨタの雇用体制を楽観視して気楽に考えているのですが、体が資本のトヨタです。再赴任は難しいでしょう。
体力的には確に過酷ではあるけれど、50歳を過ぎた人にもトヨタの様に門戸を開けた企業は中々無いのが現実。Mさんは今後、どうするのだろう・・!
体力には自信を持っていた私も40代後半、他人事ではないんです。唯一、救いなのは離れていても帰れば住む家と家族があるということ位かな。
それだけでも十分、幸せか。