さよなら富士

さよなら…

海はキラキラ輝いていた。
春はカーデガン一枚分の冬を羽織っていた。
海辺の道、ボクたちはタクシーの中にいた。
助手席には叔母、後ろにはボクと母が並んでいた。
ボクは助手席側、それは海側の席だった。

海を見ていた。そうしていないと泣き出しそうだった。泣くことがどれほど残酷なことか、14歳のボクには分かっていた。

母も黙っていた。言葉がそのまま涙に変わることを、母は知っていたのだろう。言葉と涙は、ほとんど同じところにあるのだから。

叔母だけが、ひとつふたつと言葉を選んで、そして明るく話していた。東京がどれほど賑やかで、どれほど人がいてどれほど物が溢れているか、なんてことを話していた。それは叔母と運転手の会話になってしまっていた。

さよなら故郷

道は海から山に入る。そして峠のトンネルを抜けると駅のある町だった。母が少しだけ話しかけてくれたことを憶えている。「K、寒くはないか」と、トンネルを抜けると声を出した。ボクは「ううん」とだけ言った。峠の曲がりくねった道と、タクシーのガスのにおいで、車酔いしそうになっていた。

駅が近づく。

ボクの記憶の中にある、その時の午後の町は、少しだけピントがボケている。

「Kちゃん、大丈夫だからね」と叔母が言った。ボクは「うん」と答えた。母は「なにかあったら叔母ちゃんに言うのよ」と言った。そして「頑張らないとね」とゆっくり言った。ボクはもう一度「うん」とだけ答えた。

ボクは叔母のいる千葉に行こうとしていた。そして故郷を離れようとしていた。叔母を母と呼ぶ日が来るのかもしれないと思っていた。

発車より30分ほど前に着いた。

駅の思い出

駅には何度か来ることがあったのだけれど、それはいつも「さよなら」を言うためだった。姉が就職のために旅立ったのもその駅だった。帰省した姉を見送ったのもその駅だった。

古い駅舎の待合室でボクたちは並んで座った。キオスクで母がお菓子やジュースを買ってくれた。叔母も弁当を買っていたようだった。ボクはただ押し黙ってそこに座っていた。

改札の始まりを告げる放送が流れる。母が入場券を買いに行く。それからまた並んで改札を入る。一番ホーム、改札を出たところが、寝台特急「富士」が到着するホームだった。少しだけ進行方向より逆に歩く。そのあたりで待っていた。母は泣いているようだった。叔母は富士が来るだろう方向を見ていた。ボクは、ボクは、どこを見ていたのだろうか。あるいはどこも見ていなかったのかもしれない。遠い昔。

あの「さよなら」から

あれから、数十年という時間が過ぎました。

夕方が近づくと、あの日の光景を思い出すことがあります。別れが、今よりも、もう少しドラマチックだったように思います。

それは時間が、今よりも、もう少しゆっくりと流れていたからだろうと思います。ひとつひとつの駅にはローカル線を待つひとびとの日常がありました。新幹線ホーム、なんてちょっと気取った感じのものではなくて、制服姿の高校生や酔っ払いのおじさんたち、その向こう、フェンス越しには小さな商店があったり、子供たちが歩いていたり、野良猫がいたり、という低い位置でいつもの風景が拡がっていました。

さよなら富士、そしてあの頃の思い出

その「富士」がなくなるそうですね。それも時の流れなのかもしれません。ボクたちがその別れを選んだのかもしれません。それでもボクの思い出の背景には、あの頃の駅舎や富士や彗星があります。あの時の海と同じ、まだ春には少し早い、深い青色が、いつもこの季節になると思い出されるのです。さよなら富士。

寝台特急富士

制服 下地勇
「制服」
ラッシュ・アワーが疲れを吐き出してる
人の多さまでがものめずらしげに見えて
東京駅地下道の人ごみの中
ひと群れの制服の娘たちがいる
作詩:岡本おさみ

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盆帰り

2件のコメント

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    御巣鷹さん、こんばんは。
    そうですね。ボクは鉄ちゃんじゃないので、電車そのものには興味はないのですけれど、その特別な空間というのは、しっかりと味付けされた料理みたいで、記憶に残るようでもあるかなあ。
    ま、それは長距離バスでも船でも同じなのでしょうが。夕方の別れ、そして夜、という時間の流れみたいなのものは、長距離バスも近い雰囲気があるかなあ、なんて思っています。
    最近は長距離バスを使う人の方が多いでしょうしね。
    http://t-kikan.jugem.jp/?eid=165
    このあたりに書いたかなあ。

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    半世紀にも渡って活躍したものが無くなってしまうのは寂しいですよね。
    僕は新幹線をあまり利用したことがないのですが、あのブルートレインの最後を見送る人達を見てると、それぞれに色んな思い出を与えた事実を感じさせられました。

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