原爆忌

「こよなく晴れた青空を 悲しと思う切なさよ うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ」

被爆地に近かったせいか、8月9日は登校日だった。(というか、あの頃は全国どこの小中学校でも8月6日とか9日は登校日だったのかもしれないけれど)そして毎年、黙祷をし平和についての授業があった。「長崎の鐘」を今も憶えているのは、きっと、その時にみんなで歌ったからだろうと思う。

「召されて妻は天国へ 別れて一人旅立ちぬ かたみに残るロザリオの 鎖に白き我が涙」

あの頃は、まだ戦争なんてものが今よりももっと身近にあった。父も戦地には行かなかったにせよ、学徒動員で軍需工場で働いた経験があったし、その兄は戦死していて、祖父や祖母、家族には、戦争のもつ悲しみの部分を引き摺っていた頃だった。

68年、あの頃、ボクたちが共有していた痛みの風景は脱色してしまっていて、ちょうどあのキノコ雲のモノクロの映像のように、のっぺりとしたものになってしまっていて、中には「カッコイイ」なんて言う子どももいたりするのだろう、それほど年月は過ぎてしまった。

なぜ戦争や核兵器がいけないのか、その答えさえ、ボクたちには見いだせなくなってしまっている、その原因は、もうボクのあとに続く子孫がいなくて、ボクがあと十数年なりの余命を不自由なく生きられればいい、なんていう刹那的な思考に陥っているからなんだろうけれど、そういう思考の持主かかなりいて、そして増え続けているのだから、あと数年もすれば脱色というよりも、まるで水墨画のように感じる人たちも増えてきて、逆に「風立ちぬ」のように質の違う痛みにすり替わってしまってしまうのだろう。

ヒロシマ・ナガサキ、そしてフクシマの教訓として「核と人類は共存できない」ことは明らかです。政府は誠実かつ積極的に、核兵器廃絶さらには原発廃止に向けて行動してください。

共存できる、と思っている人とか、あと十数年だけは、なんて思っているボクのような人がいる限り、というか、核も自動車のようになってしまっていて、「今さら」なんてことになってしまうに決まっている。それほど人類は傲慢なわけだし…。

なんて酔ったところで寝るか。夏休みだね。

伊勢萬 にごり梅

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