落語小話

米朝師匠が亡くなった。「ああ、こんなネタもあるんだ」と米朝師匠に教えてもらった人も多いはずだ。他の噺家さんがやらないネタをずいぶんと聞かせてくれた。

枝雀師匠、吉朝師匠という天才が早逝してしまったのが、米朝師匠の悲劇だったのだろう。ざこば師匠に南光師匠…確かに面白いけれど、師匠の芸とはかけ離れている。実子である五代目米團治師匠も、米朝師匠というよりも吉朝師匠の面影がある。お弟子さんは多いのだけれど、その芸をきっちりと継ぐ人は出てこなかった。それだけ存在感があり、人が真似できない芸であったのだろうし、芸風だったのだろうけれど。

その桂派の宗家、十一代目桂文治の名跡を桂平治師匠が継いだ。落語協会の会長には柳亭市馬師匠が就任した。どちらも九州は大分県の出身だ。落語と聞くと江戸弁、地方のなまりが噺の邪魔をするのではないかと思う人も多いのだろう。おそらくその通りで、それを多くの地方出身の噺家さんは克服してこられたのだろうと思うし、お二方のように上に立つことができたのだろうと思う。

言語的に関西弁が習熟しにくいということを考えると、上方落語の入門者も限られていて、再度衰退のする可能性だって大いにある。地方出身者が努力によってあの独特な関西弁を習得するというのは困難だ。それにボクたちは幼いころから標準語を聴いて育っている。江戸弁は標準語に親しいので、喋るのも聴くのも理解しやすい。

落語家、入門者人口の少なさから上方落語には天才が出にくい。米朝師匠の訃報にふれて「上方落語からもう人間国宝が出ないかもなあ」なんて思った。少なくともボクが生きている間は難しいように思う。

「除夜の雪」で初めて米朝師匠を聴いた。怪談噺なのだけれど、泣いた。「たちぎれ線香」もそうだった。女の情念は関西弁のほうが深く描けるように感じる。今にも雪が降り出しそうに、そして今にも香りが漂ってきそうに、なった。関西弁のほうが人の怨念を重く描けるように感じる。

そんな上方落語会の今だったり未来だったりなのだけれど、文治師匠や市馬師匠のように、きっと東北や九州出身の人が上方落語協会の会長になったり、米朝の名跡を継いだりする日が来るかもなあ、なんて少し思っているのだけれど、やっぱり難しいかなあ、なんて…。

小学校で英語を学ばせるよりも、例えば関西弁なんてものを学ばせた方が情緒豊かな人に育つのではないかと。そうすればもう少し暖かな国になるのではないかと、考えているのだ。
小話ではなくて長話になったけれど、さよなら米朝師匠。

2件のコメント

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    のなさん、こんにちは。
    暖かいのか寒いのか分からない気候で、なんとなく気持ちも暖かくなったり寒くなったりで…。
    桜もきっとこれから見頃で、週末は人が多いのだろうなあ。それはそれで面倒だと。眠っていたらもう夕方で、これからまた寝る予定です。
    人情とか義理なんてのは落語が教えてくれる、と思ったり…。

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     人情、義理、血と涙、慈しみ、生きていく上で、大事ですよね。

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