いつか夜の雨が

昨夜のこと。いつものようにボクの周りには昔がまとわりついていた。それは睡眠不足だから、というわけではなくて、なにかもうすっかり癖みたいになってしまっていて、あるいは病なのかもしれないのだけれど、決まって徹夜明けのその夜には昔の想い出がやってきて、「ツン」とする鼻の中に水が入った感じ、あのへんな煙の臭いがする。

それは悔いとか哀しみなんてことではなくて、切なさなのだろうと、思っている。

昨夜、ボクの周りにはあの四国の、あの秋の雨の日があった。ユリさんに逢うはずだった2008年の秋、もう少しで逢える位置にいたボクのもとに一通のメールが届いた日。ボクはその日、うまく説明できないのだけれど、人の負の感情、例えば哀しみとか怒りとか苦しみとか痛みなんてもの、それらが少しずつ混ざり合って全身を緩い力で圧迫するような感覚、その圧迫によって神経細胞が破壊され酔っているような感覚の中にいた。

ビジネスホテル蔵宿から恩山寺バス停までの道のりやそのバス停での野宿のことなんかを、ボクはいまでもキチンと憶えているのは、破壊された細胞と引き換えにエンケファリンやエンドルフィンが身体の中に溢れていたのだろうと思う。

夜中の2時を過ぎてボクは拓郎の唄を探していた。ボクが若い頃ずいぶん聞いた曲だった。レコードは実家にあるはずだった。コンサートの半券がアルバムにあった。もうずいぶんと逢っていない高校の同級生のことが思い出された。一緒にコンサートに行った。もう結婚して、子供がいるんだろうと思った。男は未練がましいというけれど、そうではなくてきっと過去を記憶する装置が女性より発達しているのだろうと思う。そして未来とその過去とを繋ぐ。種の保存というのはそういうことなのだ。

手をつないで帰った11月の夜。ボクたちは拓郎の唄を口ずさんでいた。きっと「外は白い雪の夜」だったに決まっている。その夜ボクたちは別れ話をした。ボクはその少しあとに旅に出た。すでにパスポートもチケットも準備していた。あの頃、ボクは随分と酒を飲んでいた。酒を飲み煙草を吸って、そして腕を組んで考え深そうにしていた。動けずに路地裏に転がっていたこともなんどもあった。なんだかよく分からない人たちがボクのまわりにいたし、なんだかよく分からない出会いばかりがあった。爛れていたのだ。そういう生活から抜け出したかった。そうしてボクは旅に出たのだ。

そんなことが2008年の秋の想い出に上塗りされていった。上塗りされたというか、ユリさんとの出逢いはその11月の延長線上にあった。拓郎の唄はAmazonで探し当てた。ボクはそのままクリックしてiPhoneに落とした。そして朝まで何度も何度も聴いた。そうしてボクはかなり酔っていた。

目覚めると12時前だった。ホッチキスがやってくるはずだった。ボクはいそいで買い物をしてご飯の準備をした。まだアルコールがたっぷりと身体にあった。あったのだけれど、また飲んだ。そうしてまたボクは「いつか夜の雨が」を聴いていた。

ホッチキスとはいつものようにボクたちの身の回りに起きたことなんかを話した。会話が途切れた少しの時間、ボクはユリさんのことを考えていた。そしてあの日、ホッチキスからもらったユリさんの死を知らせるメールのことなんかを思い出していた。そして「ああ、海月に行ったのも11月だったね」なんて口に出そうかと思ったけれど、やめた。11月の想い出が哀しみに包まれるからやめたのだ。

過ぎ去るものたちは、それほど急いでボクの前を通り過ぎてはいない。こうしていつでもたぐり寄せることができたりもする。人生は単純なほうが良いに決まっている。ひとつひとつの過去がキチンと想い出されるぐらいの出来事があれば十分なのかもしれないと思う。人はたくさんのものを欲しがる。でも、多ければ多いほど捨てるものも多いのだろうと思うと、そうして粗末に扱われるよりも、大切に大切にしたほうが良いに決まっている。そう思うのだ。

また夜だね。寝るか。

いつか夜の雨が 走りはじめたネ
過ぎ去るものたちよ そんなに急ぐな
きみの住む街を おもいださせるネ
あの頃の愛の唄よ 喜びをうたうな
「いつか夜の雨が」作詞 岡本おさみ

四国遍路

5日目 | 四国遍路

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