働くということ
働くということについて考える時は、働くということから逃げ出したい時、なのかもしれない。なぜ人は働くのか?というある意味単純明快な生存に関する本質だとしても、人は考える。
なぜ働きますか?
食べるために、つまり生きるために働く。その延長線上に家族を食べさせるために働く。
では、食べることができ、生きることができるとしたら?働かなくて良いのだろうなあ。いや、もっと食えるように、もっと生きられるように。そういった欲望が、働くということへの執着になってくる。
名誉とか生きがいのため?あるいは、国民の義務?人のため?
そこまで考えられるようになるには、生きることに余裕が生まれてからだろう。では、ボクは何のために働いてきたのだろう?やはり、生きるため、そのためにお金がいるから、だったように思う。食べて寝る、そのためにだ。
働かなくていいということ
その食べて寝ることができるぐらいのお金があれば?上述のように「もっと」なのか?
(たっぷりではないが)年金もあるだろうし、贅沢さえしなければ…。そうすれば生きていけるのなら、働かなくても良いんじゃないのか?老いさらばえるまで会社にしがみついて?そして、例えば、職場で倒れて救急車…。
あるいは、働けなくなるまで働いて、そうして余生は家の中で暮らす?通院しながら生きる?死ぬまで働く?
確かに「死ぬまで働く」人もいることはいるのだが…。
働くということ
そんなことを考えている朝。そんなことを踏まえて、ボクは働くということを止める。健康なうちに旅をしたい。歩いてみたい。それには時間が必要だし、働いていてはできない。
そとにかく、疲れた。それが本音だ。肉体労働ではないのだけれど、結局、いろいろなことに疲れたのさ。
そう、自分に納得させている、ということもあるんだよなあ。
今日のいろいろ
ということで、夕食は野菜たっぷりカレー、野菜の酢漬け、お昼の残りの味噌汁。
焼酎お湯わり0.3合ぐらい、日本酒0.2合ぐらい。というか、それが我が家にある酒類一切だった。買いに行って飲む、ほどの酒好きでもないので…。今日も相変わらずなにもせず。ATMに行って、さらにATMに行ってお金の移動。2キロぐらい歩いただろうか。
『オフィシャル・シークレット』を鑑賞。国家、そして企業も、国民、労働者のためにあるもの。しかし、ルールが組織のために歪められる。法さえも国民を守れない。誰が、それを修正できるか。悪いことはしないけれど、良いこともしない、という人が増えると、これもまた問題だよなあ…。
「…しかし、キーラ・ナイトレイのパワフルな演技のお陰で、良作に仕上がっている。」
へんろみち保存協会さんの『四国遍路一人歩き同行二人・地図編』が届く。少し眺める。これから寒くなる。歩けるのかオレ。