追憶 ゴールデンウィーク
Yさんのアパートに行く時に、いつもボクは酒を飲んでいた。酒の勢いで行く、というよりも、照れくささを隠すために飲んでから行った。夜の10時前だというのにYさんの部屋の電灯はいつも消されていた。汲み取り式のトイレのニオイがその頃8千円だったアパートの前に立つと漂ってきていた。不幸のニオイのようにその頃のボクには感じた。欲望がそこにシガミツイテいたようにも感じられた。
木窓からは5月の倦みきった月光が部屋の中へ入っていた。
「今日は楽しいことがあった?」なんてボクはYさんに挨拶した。まだ眠ってはいなかったらしくて、「まったく」なんて少し怒ったように答えた。
「オレのほうはね、やっぱり『まったく』かなあ」
「なんのために生きているのかなあ」
「生きるために?」
「だからなんのために?」
「明日楽しいことがあるかもしれないから」
「ふ~ん、能天気だね。今日だって良いことなかったのに」
「まったくね」
いつもそんなことを、そんなネガティブな話ばかりをしていた。部屋にはテレビがなかった。木窓の隙間からは猫の春の鳴き声も聞こえていた。
「ねえ、Kくん、寝ようか」
いつもその言葉を合図にボクたちはまだ彼女の温もりのある布団の中へもぐり込んだ。
ボクたちの関係は、ボクが酔っているということで正当化された、22歳のボクはそう考えていた。
……
またゴールデンウィークが終わった。今年は日並びが良かったそうで、その経済効果も良かったそうだ。サービス業で働く人たちにとっては、良かったのか悪かったのか、いったいどういったモチベーションで働くのだろうか、なんて考えてしまう。ボクもそのサービス業で働くひとりなんだけれど。
「どこも混んでいるから、ゴールデンウィークは働いていたほうがまし」なんて言う人もいるのだけれど、本音はみんなと同じように普通にサービスを受けたいもんだ、と思っている人も多いはず。
4月に入社とか入学なんて生活環境が変わった人たちにとっては、親や友人と再会できて入社後/入学後の緊張感から少し解放されたのかなあ、なんて思っている。それでも、その反動で5月病かあ、それも悲し…。
人との関わり合いなくして生きるということは難しい。人はボクたちを、楽しくもさせ苦しくもさせ、辛くも、悲しくもさせる。そのことをどう思うかが問題なのかもしれないと、まあ、なんとなく思っている。
次は夏休みかあ…。これまたボクには関係ないことなのだけれど……。
遍路にて