敬意のない社会
敬意のない社会の敬意なき職業…。
そんなことを考える朝。と言うのも、ことあるごとに、非常に厳しく相手を断罪することができる社会、そう感じているからです。まるで「水に落ちた犬は打て」とばかりに、打つ。「落ちた犬は打つな」と言うと、また反論される。遂には「トーンポリッシング」と打たれてしまいます。
出典:ACCジャパン2017「苦情殺到!桃太郎」
リスペクトされないタクシー運転手
タクシー不足からライドシェア論議が活発に行われています。UberやGrabのようなライドシェア推進派と言われる人たちのタクシー批判を見ていると、敬意なんてものが感じられません。そして運転手の人たちも同じで「敵意剥き出しだなあ」なんて…。
きっと、分かり合える日は来ません。なぜならば、相対する利害関係になるからです。なにを言っても、どう説明しても、推進派の人たちはタクシーによる被害者だったり、困っている人で、さらにライドシェアの導入での、利益享受者だからです。一方、タクシー運転手は、私たちの職業であり、その職業に誇りと愛着を持っているからです。さらに、ライドシェア解禁による被害者になるだろう人たちだからです。
エッシェンシャルワーカーではなかったっけ?
あれは夢だったのでしょうか?つい1年前までは、敬意を持ってエッシェンシャルワーカーと言われていたはずです。タクシーに敬意のある社会の萌芽、あれは幻想だったのでしょうか。
思い出してください。わずか3年前のことです。新型コロナウイルス感染症の拡大から、緊急事態宣言が発出し、人流が途絶えた街。誰もいない街にもタクシーはいました。あの頃、1日の売上が数千円だとしても、ボクたちは「社会の公器」として街を守っていました。災禍の中にあっても、生きるために、病院に行き、買い物をします。見回りタクシー、陣痛タクシー、そんな利用者がいるからです。ボクたちは踏ん張っていたのです。


需給ギャップではなく修復ギャップなのだ
ところが、コロナ禍が終息すると、外出や観光を抑制されていた人たちが街に、一気に戻ってきました。それは良いことだとしても、コロナ禍で身体中が痛んだ業界はまだ修復途中でした。雇用調整助成金があったとしても、高齢者の多い業界では予想以上に離職が増えました。
現在起きているタクシー不足の原因は、運転手不足なんです。台数規制や運賃規制ではないのです。いえ、これから運転手が増えて、需給ギャップがなくなる、と言うことではありません。もう、コロナ禍以前の労働者を確保するのは困難でしょう。なぜなら、エッシェンシャルワーカーとしての理想と現実の落差(ギャップ)が大きいからです。そしてそのことが現在「ライドシェア論争」のもと、明らかにされていて、拡大化しているからです。
敬意のない社会
つまり、タクシーは、エッシェンシャルワーカーと言われても、社会の公器と言われても、敬意なき職業なのです。いえ、つい昨日まではエッシェンシャルワーカーと言われていたのに、今日は駅の乗り場にタクシーがいないと罵られています。
結局、運転手不足のほんとうの原因は、社会からのイジメです。ボクたちは、ライドシェア論争で言語化されるタクシー運転手に対する敬意のなさに、うんざりしているのです。
運転手だけではありません。人と関わる職業は、今後さらに労働力不足が加速します。容赦ないクレーム、不寛容なボクたち、そして敬意なき社会。これらが循環しているのです。ボクが理不尽なクレームを言った人が、明日はボクに理不尽なことを言うのです。これが志の輔師匠が解いた「みどりの窓口」での理不尽の循環です。
他者に対して非常に厳しい社会になっているのです。そのことは、もうずいぶん前から問題視されていますが、なにかが変わっているわけではありません。相変わらず不寛容社会なのです。
その不寛容社会、敬意のない社会こそが、エッシェンシャルワーカーと言われる職業の労働者不足の原因なのです。言い換えれば、労働不足はボクたちの意識でしか解消できない、そう考えています。
タクシー・イノベーションと乗務員不足対策への挑戦/貞包 健一

