逆打ち(2日目の2)
「どうして歩いているんだろう」という疑問はボクの側を離れることはなかった。それどころか雨の日は歩いていることが苦痛にもなったし、その行為への憎悪にもなった。ボクは金剛杖を何度も叩き折りそうになった。道路に強く打ち付けたこともあった。
「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」と唱えながら、それはまるで「チキショ~、このやろう~」とほとんど同じようでもあった。鎮痛剤は頭痛を軽減していたのだけれど、筋肉痛関節痛にはほとんど効いていないように感じた。焦燥感、悔恨、不信感、そして空腹感や睡眠不足、いろいろなものが、杖に向かってあるいはボク自身に向かって苛虐する。
歩いていた。吉野川に架かる川島橋を渡った時には16時前だっただろう。あと3キロと少し。ボクは土手の上の道を歩いていた。「へんろ小屋がありますから休んでいけば良いですよ」と、おじさんに声をかけていただいた。ボクの表情に何かただならぬ物、例えば憎しみなんてのを感じ取ったのかもしれない。
ボクはそのへんろ小屋で少し休憩を取った。布団もある、泊まることのできる小屋。「ここにこのまま泊まろうかなあ」と思っていた。思っていたし、そうすることが一番良いようにも考えていた。
法輪寺にて イチョウも色付きはじめた。法輪寺 GoogleMap
逆打ちとは
逆打ちとは、四国遍路八十八か所を巡礼する場合、一番札所霊山寺から始め、八十八番大窪寺で終わります。つまり、時計回りに四国を一周することになります。しかし、逆打ちは、八十八番から始め、一番で終わる、時計とは反対回りに巡礼することを言います。ボクは、一番札所霊山寺からの出発でしたので、順打ちでした。
通常、道案内は一番から八十八番の順に示されているので、逆打ちは道間違いのリスクも高くなります。ガイドブックも順打ち基準なので、時間距離の計測も難しくなるでしょう。
ただ、この方法だと、順打ちしている遍路に会うことができます。ほとんどの遍路が時計回りしている、そこを反対に回るからです。弘法大師は今も遍路をしていると言われています。逆打ちすると、どこかでお大師様に会うことが出来る、ということで逆打ちをする人もいるそうです。