旅に出ようと思う

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けふもいちにち
風をあるいてきた

山頭火

道路に散り落ちた金木犀

巡礼の旅、四国八十八カ所遍路旅をしようと思う。


そう決めたのは1週間前の日曜日で、なんともならない午後の時間に、突然思った。「発心」というのだろうか、それでも今でもそうなのだけれど、旅というものへの信憑性といった感じの、例えば「旅に出れば何かが見つかる」なんていう、そんな気持ちはほとんど持っていない。

それはボクがしてきた過去の旅で、ボクが分かった唯一の「何か」のようでもある。過度の期待をすると、旅に裏切られるということなのだ。

自分探しの旅をしてきた結果として、あるいは、何かを求めての旅の結果として、現在の自分があるとしたら、ほとんどが無駄な時間を過ごしてきたのだし、人 の言う「貴重な体験」がボクの人生においてなんの役にも立っていないのではないかと考えている。貴重な体験をすること、それにどれほどの意味があるの か・・・。

意味を求めては、何も出来ないのだろう。

それに人ひとり、どれほどの存在意義があるのかも、かなり曖昧なのだろうから。求めれば、与えられる、とも思わない。

人生ってのは、生きるのが上手だとか下手だとかいうこと、そういったことで決まってしまうように思う。旅という経験を上手く利用できる人、そういう人もい て、同じような旅をして、同じような感覚を持ったとしても、ちょっとした方法(たとえば言葉とかの表現とか)で、大きく違ってくるとも思う。

ボクは、うまく生きてこれなかったし、それはボク自身に問題があるのだけれど、その結果として、現状があると思う。何かが足りなかったし、何かが間違っていたのだろう。そのほとんどは忍耐ということに関係するように思うのだけれども・・・。

実は失業者なのだ。

3月に失業した。それからポリテクに行った。先日終了した。

失業と言っても、非正規雇用として就労していたので、その4年間に数度失業した。契約期間が過ぎれば失業した。いつも失業の中にいたし、それは失意の日々でもあったように思い出している。

それから続く日々は、もうほとんど、先がないのではないかという閉塞感の中にあって、このままホームレスになるのではないかという、それでもいいや、とい う諦めという感じもしていたりもするのだけれど。まだ少しだけ余裕があるから、このように冷静に考えられるのだろうと思ってはいるのだけれど・・・。

少しずつ旅の準備をしている。
毎日歩いてもいる。
この数日中には旅立つと思う。

少しずつたびだつまでの様子や、旅の様子を綴っていこうと思う。旅にあっては、更新もできないと思うのだけれど、それは帰ってから、また少しずつ綴っていこうと思っている。

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