海フェスタ東三河

海の日3連休。

街は祇園祭、海は海フェス、賑やかな豊橋市内、だったのかもしれないね。

海上保安庁大型巡視船「みずほ」の体験航海とか、遊覧船「たつみ丸」港内クルーズとか、伊勢湾フェリーサンセットクルーズなんてのには参加してみたかったけれど、人混み嫌いと一緒に行く家族も友達もいないので、ひとりでこんなイベントに参加する勇気もないしで、結局、あきらめてしまった。

トヨタ自動車の田原工場見学会にも行きたかったのだけれど、なんだかこれも、う〜ん、う〜ん、なんてうなって考えている間に締め切りを過ぎてしまって、ため息。

なんて考えていたら、海が見たくなって・・・。

午後から神野ふ頭ドライブ、少しだけ。

海、実家は潮騒が届くほど近くにあった。

自由研究でブリの稚魚を水槽で飼った小学生の夏のことを想い出した。結局、あの稚魚は全滅した。そうして死骸はまた海に戻っていった。

なんとなく、戻ってみたいと思った、少しだけ。

あの場所とか、あの頃とか・・・。

そうしたら、なにかが変わるかもしれないと思った。変わらなければならない、というわけではないのだけれど、少しだけ前向きに、少しだけ優しく、少しだけ強く、少しだけボクらしく、なれるんじゃないかと、思った。

人には少しだけ、ほんの少しだけなんだろうけれど、時間とか空間とか意識とか感覚なんてものとは別の、例えば羊水の中の記憶みたいなものが、生きるためにに必要なのだろうと、思った。

それは場所のもつ力、だったりするのだろうと、思った。ここではない、あの海の力。

なんとなく、戻ってみたいと思った、少しだけ、ほんの少しだけだけれど・・・。

護衛艦 こんごう

護衛艦 こんごう

海辺で生まれた少女は、きっと、故郷を想いながら豊川の堤防を歩いたのだろうと思う。そして海が見えるところまで来ると、泣いていたのだろう。

豊橋は海には近い。近いのだけれど海を感じさせない街だ。海の匂いもしない。どうしてなんだろうかと考える。少女たちの故郷の、例えば九州や東北なんて海とはまるで違う。それは豊川の続きだからかももしれない。海に関わる匂いがなかったからかもしれない。工場という匂いはあったとしても。

あるいは、少女たちの涙をたっぷりと吸い尽くした海は、その気配を消してしまったのかもしれないと、思った。

その哀しい海に夕陽が沈む。ボクはふとそんな昔のこと、そう遠くはない昔のことなんかを考えながら、やっぱり海の匂いのしない街を漂っていた。

豊橋漂流(1)

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