好き嫌い

嫌いな食べ物は何?なんて言われると「カエル、ヘビ、爬虫類や虫」なんて答えるのですが、そんなものは食べたくてもなかなか口にできないですから、普通に生きているぶんには困らないですよね。好き嫌いがあっても、生きることには困らないというのも事実ですよね。

あ、梅が咲く前に春が来ちゃダメじゃないか。物事、順番ってのがあって、いきなり、だと、かなりの確率で嫌われるからね。
AさんとBさんはとても仲がよかったのですが、ある日年休のことで少し意見が合わなくて、それはAさんが「うちのGLは年休年休言ったら、くれるものもくれないよ」と言ったらしくて、Bさんとしては「権利だから、そんなことあるもんか」と反論、Aさんが「いや違う、そうじゃないよ」なんてことから、少しだけ二人の仲にひびが入ったのでした。
それでもそこは大人ですし、いくら田原工場が大きいとは言え、組という単位においては学校の組単位よりも小さいですから、喧嘩してお互いが居づらくなるのも嫌だったのでしょうから、そのままの状態で、何日かが過ぎました。
ある昼休みにBさんが、「どうしても満了までに年休消化する権利があるよ」なんて言い出して、そしてらAさんも「ダメだって、分からないかなあ」なんて言ったことから、沈黙で保たれていた二人の仲は「なんでテメーが分かったようなこと言うんだよ」なんてことになって、「オレは、あんたのためを思っていってるだけだよ」と、掴み合いの喧嘩にはならなかったのですが、もう修正のきかないところまでに至っては、お互いがお互いを嫌悪するようになりました。
そうなると、あの狭い組にいても、口をきくどころか、挨拶もしなくなって、見ているこちらの方が辛くなる感じになりました。Aさんの言い分は「あんな分からず屋はいないよ、それに我ままだしね」でしたし、Bさんは「年下のくせに、ちょっと期間工として先輩かと思って、偉そうにしやがって」と、そんなこと仲が良かった時に分かっていただろ、ってことまでも「あんなやつだとは思わなかった、やっと分かった」なんてことになったのです。
とうとう二人が和解することもなくて、Bさんは満了していなくなったし、Aさんにしてみれば「消えてホッとしたよ」となったのでした。見ているボクたちも、特にボクは二人とも仲良くしていたので、とても困っていたので、少しだけだけれど「ホッとした」のです。どっちが悪いというよりも、どうでもいいことだったんだけれど。
そんなどうでもいいことで、人は嫌いになるのでしょうね。ちょっとした受け答え、ちょっとした仕草と言ってもいいでしょうね。そうなったら、もう後は嫌いになるだけで、嫌いという感情が加速的に増していって、顔を見るのも嫌だと言うことになってしまう。
それなら、はじめから仲良くならなければ良いだけのことで、そうやって死んだふりをしている人だっていますよね。それとか、ゆっくりゆっくり人と付き合っていくタイプの人もいますし、あまりゆっくり過ぎて「半年が終わってしまったよ」なんて言う人もいて。
人との関わり方なんてのは、やはり人それぞれで、食べ物の好き嫌いというのとは少し違っているのでしょうが、ある日突然嫌い/好きになったなんていう「突発性味覚異常」なんかを別として、食わず嫌いやアレルギーなんていう食べ物と同じように考えても良いかもしれません。
もしも人間関係に悩んでいるとしたら、その人との関係を食べ物との関係に置き換えて、なぜ嫌いなのかを考えると、実は「あ、アレルギーだから、しかたないかあ」なんて気が楽になることもあると、思うんです。アレルギーだったら、近づかないほうが良いかもしれないですよ。
食欲がないんだよねえ~とか、面倒くせ、なんて思っているんなら、わざわざ食べなくても、良いと思うんですよ。

11件のコメント

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    大好きなものは

    好きなものはから揚げと、餃子です(笑)今日はクラスで親子クッキングがありました。普通の餃子の種ではなくてチーズやシーチキンなどを入れたものです。さすがにシーチキンがやっと食べられる程度でしたが包む作業はとっても楽しかったようです。そして、給食も(母は

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    スリルファック

    喫茶店の狭いトイレで、小窓のあるカラオケボックスで、昼間の公園で鐔ワ愁鐔ジ?蕕譴襯好螢襪亡兇犬泙?蝓?

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    noharmさん、こんばんは
    あ~、なんというか、どうもうまくまとまらなかったかなあ。
    ま、「よほどの理由」なんてのもなくて、その場その場で変わるんだろうし、人間関係って立ち向かって闘うってことでもないだろうし、なんて考えています。一筋縄でいかないんだろうしねえ。全員を好きになるわけでも、全員から好かれるわけでもないですから…。

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    わかりやすかったですよ。(笑)

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    noharmさん、こんにちは。
    う~んと、困難に立ち向かえってことなんですかねえ。
    距離を置くと言うか、離れていく物に対してすがるというような行為、というのは面倒ですし、無駄なのを知っているのかもしれないし、ま、プライドでもあるでしょうね。恋愛でもそうですが。
    「まってくれ、オレが悪かった」なんてことを言える人もいるだろうけれど、(ま、状況にもよるでしょうが)どうもボクは言えないかなあ。これも状況にもよるだろうけれど。
    確かにその距離を縮めることによる、不愉快な思いや我慢することを避けたほうが楽ですからね。「我慢するなんてのは、まっぴらだ」と思っているのだろうけれど、どうしても我慢してしまう。
    我慢する民族ですからね。我慢するのも楽な場合もあるか。やはり楽を選ぶでしょう。それも、違う場合もあるのですが。
    人間関係ってのは、やっぱり、このように書いてしまっても、人によっては微妙に違うだろうし。やはり、我慢しなけりゃいけないことを避けようとするのだろうし、避けないで生きていて良いことはないと思うかなあ。我慢というか不快さとか、嫌な気分とか、痛みとか、いったものに対しては、敏感だろうし、それを耐えるということは、どこかで身体を無理しているのだろうと思うのです。
    それらの不快なものを我慢する人も多いのですが、多くの人は医者に行くだろうし、宗教に救われるのだろうし、その前に悪人に出会わないようにしているし、頬を打たれることのない人生を送ろうとしているのだと思っています。
    う~ん、ていうかボク自身が人間関係に拘泥しないというか、淡白というか、貧困しているというか、そんなんなのかなあ。
    ま、距離を置くのも、相手の年齢というのもあるから、やはり、状況によって違うってことだと思うのですが、これだと返事になってないかなあ。

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    「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」
    なんか、この聖書の言葉を思い出してしまいました。最近はこの言葉を良く思い出します。クリスチャンではないのですけども。この場合思い出すなら、
    「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
    の方が適当だと思うのに何でだろう・・・・・・・?
    >こちらから、近づくのもなんですし。
    んー。それは距離を置いた方が楽である事を学んでしまったからですか?それとも、プライドからくるものですか?

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    noharmさん、こんばんは。
    取るに足らないかあ、う~ん、なかなかそう思えないかなあ。
    ま、そういう例だと、赤の他人に何の感情も抱かないでしょうけれど、やはり隣の人っていうか、距離的に近い間柄だと、どうしても、意識してしまうかなあ。
    好きというか、嫌いなわけではないのに、避けられると言ったほうが良かったですね。避けられると、やっぱり意識して、こっちも避けてしまうなあ。その理由が分からなかったりしたら、なんだか、少し腹立たしく思ったりするときもあります。
    こちらから、近づくのもなんですし。

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    んー、私の場合だけなのかもしれませんが、向こうが私のことを嫌いだったとしても、取るに足りないような相手なら嫌いにすらならないのでは?
    嫌いになるということは(意識的か無意識かは別として)相手に対して少なからず興味があり1人間だと心の中で認識している時に発生する感情だと思うんです。
    例えるならば、あなたの場合だとトヨタにいて、そこに存在する全員と知り合うわけないですよね?その自分の生活圏に関係のないその他大勢の人、圏外の人だと思っていただけたら・・・
    あ、恥ずかしいマナーの人だなぁとは思っても、基本的には腹は立たないと思うんですよ。

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    noharmさん、こんばんは。
    ああ、そうですね、「これぐらいのことで」とか思うことってのは、そのレベルなのでしょうね。「オレは…」というのも、「オレとお前」というレベルが違うことを認識した場合でしょうね。
    レベルが違うというよりも、やはり傍観者でいられるから、第三者として(その距離を置いて)沸点を抑えられるのだろうと思っています。という意味では「オレとオレ」の関係を見ることが出来るオレなんでしょうが…。う~ん。
    こっちが好きなのに、むこうが嫌いなんてこともあって、この場合は、こっちもだんだん嫌いになりますよね。そういう場合が、多いようにも思います。

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    仲良くなりやすい人は、レベルが同じぐらいの人であることが多くないですかね?と思いました。
    人間は誰でもどうしても譲れないラインがある戸思うんです。で、仲良くなりやすい人はレベルが同じぐらいなので、やっぱりきっと感情の沸点も同じぐらいの所にあるんじゃないのかな・・・って。
    その沸点ラインに達した時にまったく同じの時はさらに仲良くなってたはずだけど、意見が合わないと大嫌いになるんじゃないのかなぁと。
    あなたのように距離を置いてる、どちらかのレベルが違う場合は、どちらかが諦めたり譲ったりできるんだろうと思うので、平行線のままいられるのじゃないかなぁと。その方が楽な付き合い方だと思うのだけど。

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