帰郷・さよなら田原(12月25日)

別れをテーマにした音楽は数多くあるのですが、ボクが一番好きなのは「外は白い雪の夜」です。天才詩人松本隆さんの詩ってのは、人の寂しさの情景をスローモーションでボクたちの目の前に再現してくれるように思います。

「あなたが電話でこの店の名を、教えた時から分かっていたの、今夜で別れと知っていながら、シャワーを浴びたの哀しいでしょ?さよならの文字を作るのに、煙草何本並べれば良い?せめて最後の一本を、あなた吸うまで居させてね」


ハッピークリスマスサンセット。

中部国際空港に着いたボクは別れについて考えていました。空港の別れってのは、残酷なもので彼/女の姿が見えなくなってから飛行機が飛び立つまでかなりの時間があって、手の届きそうな位置にいながらどうしようもない2人には、その距離が遠くて、そして煙草一本吸う時間どころではない長い時が過ぎていく。

見送りデッキに行って、その飛行機を見つめている人たちにとってその風景ってのは、手を伸ばせば届きそうな感じのする幻でしかないのだろうと。そして見送った人は今来た道をまた戻っていく。そうして2人の距離ってのは確実、そしてすごいスピードで離れてしまうのだけれど、残り香や温もりなんてのがすぐ近くにあって、その時間と距離と感覚の差ってのに戸惑ってしまうのだろうと思います。

ある女の人に「距離が思い出を遠いものにするから」なんて言ったことがあります。でもね本当は逆なんだと、ボクは思っているんだ。少しずつ離れていく距離、そして逢いたいと思う気持ちは…ゴムみたいなもんで、パッと話すとすごい勢いで戻ってしまうようなもんだと。距離が遠くなるほど、そのスピードは増すわけで…。

セントレアの夕陽は、たとえ感情を押し殺して生きている人でも(例えばゴルゴ13でも)泣けてきそうな風景でした。人は自分の気持ちで風景を見ると思うのですが、そうではない圧倒的な風景ってのがあると、思うのです。ボクがレンズ越しに見たのは、その風景の中で息をしている人たち、というかボクだったように思うのです。

そんなことを考えていたら、夕陽のあったあたりも真っ暗になっていました。ボクはその夜の宿を決めていませんでした。このままセントレアに泊まろうかと思ったのですが、最終便が23時なので、それから閉鎖されるのだろうと考えると、屋根の下ではない野宿になるかもしれないので、ボクは名鉄に乗って名古屋に向かいました。

名古屋駅はクリスマスのイルミネーションが綺麗で、駅前は賑やかでした。ボクはそんな駅周辺を少し歩いてみました。歩いていないと寒い日でした。そしてJRバスの発着場のベンチで一時間ほど過しました。

ずいぶんと考えていました。このまま朝を迎えるか、それとも中央線に乗って松本に行くのかと。22時前、ボクは立ち上がリました。もう一度だけ、最後の1回。

ボクは東海道線上りに乗りました。行先は豊橋。


ミッドランドスクウェア下から見たツインタワー

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