帰郷・豊橋駅泊(12月25日)

蔵王山の灯りは、その位置が分かっていないと、おそらく見逃してしまうほどかすかなもので、ボクのイメージとはずいぶんかけ離れていたものだった。

線路と大地と蔵王山の間には、漆黒の闇が広がっているだけで、あのキラキラ輝いていた三河湾は、その闇の中に飲み込まれていた。

あなたにとって一番記憶に残っているクリスマスってのは、どんなものですか?


豊橋駅、深夜2時。もうオレを置き去りにしないでくれ。

名古屋駅発22時13分発区間快速豊橋行きに乗ったボクは、三河三谷あたりで見えるだろう蔵王山を探していました。

田原寮のボクの部屋から見える夜の蔵王山は、ちょうど空中都市のような感じで、あの風車がその都市を持ち上げているように感じていました。そんな思い出を少し引きずっていたのです。

ボクは少し情緒不安定で、それは名古屋の喧騒と寒さに中ったのかもしれないのですが、どうしても名古屋を離れる前に、ボクの田原を見たいとかなり強く思っていました。

「ボクの田原」というか、誰も知ることのないボクの心の中の思い出たちとの会話する時間と空間、といったものなのだったのです。

クリスマスもあと1時間で終わる23時12分、電車は豊橋駅に静かに到着しました。ボクは「また戻って来たっちゃよ」と、ボクがはじめて見た深夜の豊橋駅ホームで、少し声を出してみました。

名古屋からはいくつかの選択があったのですが、結局ボクは距離も時間も、そして記憶までも戻ってしまう豊橋を選んだのです。

あの時のボクの気持ちといったら、それはどうしようもない恋みたいな感覚で、何かに包まれて眠るというようなことを想像していました。

「何か」それはボクの田原での思い出すべてだったのだろうし、ボクが残していったボク自身の霊だったのかもしれません。

そういったものたちとの会話が救いであり、解決だったのかもしれません。

ボクはそれから少しの時間いろいろなことを考えました。ボクたちは思い出ばかりを語り合っていました。

それは夜が明ければ無くなってしまっている世界で、将来のことを話すようなものでした。

実際ボクは夜が明ければ電車に乗って遠く離れてしまうのだから。そして、ボクたちってのはどんどんかすんでいく思い出だけの中でしか生きていけないのだから。もう更新されない思い出がとてつもなく愛おしいものになっていました。

ボクは寒い、それは今まで経験したことないぐらいの寒さだったんだけれど、そんな豊橋駅で一晩過しました。でもね、その夜のことが、ちょうど焼き物の釉薬のように、ボクの思い出を輝かせるのだろうし、その夜が全てだったようにも、今となっては思っているんです。

どうも抽象的で分かり難いですが、この時のボクといったら、なんかどうしようもない感覚で、今思うと、神の啓示を受ける前ってのはあんの感覚なのかもしれないと考えたりしています。

ボクにとっての豊橋駅ってのは、モーセのシナイ山みたいなものかと、たいへんおそれ多いのですが、ふと考えているんです。

2件のコメント

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    こまちさん、こんにちは。
    満了だったのですね。それもちょうどの日で。二直だった黄直は半日年休とか言ってましたが?となると年休のない人たちは掃除だったのでしょうか?あ、あれって、第一ボデー課だけだったのかな。
    こちらはそれ程寒くはないのですが、ボクも外出するのが億劫になっています。こうしてブログを書いていると、まだまだ帰り着いたという感じがしなくて、早くブログ上でも帰り着きたいと思っているんです。
    あすから仕事で、なんだかやっぱり懐かしいかな。
    ありがとうございます。
    こまちさんも良い一年をお過ごし下さい。またコメントして下さいね。

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    ブログの再開、楽しみにしてました。こまちです。私も先月27日に満了を迎えることができました。長いようで短かった半年間、今ではなんだか懐かしい気さえします。故郷に戻ってきて新しい年も明け、「さあ、またイチからがんばるぞ」と気構えだけは十分なのですが、雪国の寒さで外出するのも億劫になってしまっている今日この頃です。             管理人さんはいかがお過ごしでしょうか?2007年が管理人さんにとって素晴らしい年でありますように。

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