相模原事件と非正規雇用
小学校の同じクラスに和美ちゃんという女の子がいた。
ボクたちより一歳年上だった。彼女は自分が思うことをしゃべることも書くことも出来なかった。あの頃、故郷の小学校には特別学級なんてものはなくて、和美ちゃんはボクたちと同じ授業を受けて、同じ世界に暮らしていた。
体育の授業でさえ彼女は、ボクたちが意識することなく、そこにいた。うまく動かせない肢体に一番戸惑っていたのは、実は彼女だったとしても、ボクも先生も特別な存在だとは考えてはいなかった。和美ちゃんといることは、ボクたちにとって普通のことだった。ボクのあの頃の思い出の中にはいつも和美ちゃんがいる。
彼女には、例えば施設なんて逃げ場所もなかったから、ボクたちと一緒に暮らすほかに方法はなかったのだ。そんな人がボクのまわりには何人かいた。ごく普通に、その程度(そういった程度なんてもの秤もなかったのだけれど)によって、生きる場所があったように憶えている。漁網を繕うのが上手だったマーさんもそうだった。めんこやビー玉も得意で、兄はマーさんに負けたといつも負けたことを悔しがっていた。
あの頃、やっぱりボクのまわりには、今で言う知的障害者と言われる人たちがいて、ボクたちは普通に関わりあっていた。そうして田舎という扶助の制度の中で、国家という堅苦しい福祉なんてものとは違う、別の世界で暮らしていた。
ボクたちが小学校六年生の時に、その頃になると和美ちゃんも登校する日が少なくなっていたのだけれど、和美ちゃんは家の近くの川に落ちて死んだ。ボクたちはずいぶんと哀しかった。ボクたちはずいぶんと涙も流した。
でも、ボクは、なんだかとても不思議に思った。そうしてその不思議に思うことは今も同で、どうしてあの川なんかに落ちたのだろう、と思っている。どうして、いつもいつも、普通に通っていた道路の脇にある川(それも小川で溺死するなんてことはなく、たぶん打ち所が悪くて死んだろうけれど)に落ちて死んだのか、そのことをとても不思議に考えていた。
とても悪いことなんだけれど、ボクはその時、和美ちゃんは死んだのではなくて、「どこかに連れていかれた」、そう思ったのだ。そしてそれは、これもとても悪いことなんだけれど、「しかたないこと」、そう思った。
その年にボクは、ボクたちが30分も自転車でかかる中学校までの通学を和美ちゃんはどうするのだろうか、なんて思っていたし、たぶん、それは不可能のようにも思っていた。そんなことは、たかだかそんなことは、今は普通なことだとしても、あの頃はとても難しいことだった。そして学校に行かないことは普通なことだった。
彼女にとって、これもとても悪いことなんだけれど、死ぬことができたということは、もしかしたら幸せなことだったのではないかと、思う。自由に動かせない身体と言葉と意思。死ぬことによって解放されたのではないかと、思う。
一番に憂いていたのは、彼女の両親だったのだろうし・・・。
今は、施設なんてものがあって、中学校にも行けるのに。
相模原の事件、ボクは和美ちゃんのことを考えている。そうして泣いている。
ボクたちは、普通に、とても自然に生きていたよね。たぶん、今のようなパソコンとか設備とかあれば、もう少しうまくコミュニケーションを取れていただろうに。そうしてもしかしたらボクの秘密も打ち明けられたかもしれないのに。遠くへ連れていかれることもなかったのに・・・。
そう考えながら、ボクはね、どうしてこうも、普通でなくなったのかなあ、なんて思っている。
それは、差別や偏見なんてものが顕在化してきたからだと思っている。顕在化というよりも、差別とか偏見を国家ぐるみで造りだしているからだと思う。非正規なんて職業差別を大企業が、政治家がする。格差なんてものを容認してきた労働組合もそうだ。
差別が当たり前になった社会で、「差別をするな」ってのはおかしくないですか?ボクたち自身が「非」なんて差別されている対象なのに・・・。そうして傷つけられ、どん底に落とされ、社会と無縁孤立化しているのに、「差別するな」ってのはギャグですか?
そうして誰も救ってくれない社会で、じゃあもう少し傷つけば、もう少し動けなくなれば、その施設とやらで、救ってくれるだろうか。そう思っても不思議じゃないのではないですか。
いや、犯人を弁護するわけではないのだ。
みんなが普通に生きられる社会なんてものが、もうなくなってしまっているということなのだ。格差社会ってのは、一部の人たちだけが普通で、それ以外は普通でない、そんな社会なのだ。それを国家ぐるみで作ってきたということだ。
誰もが普通に生きることができ「非」なんて差別を受けない社会が来ない限り、差別や偏見なんてもの、あるいは優生思想なんてものは、なくなるどころか、今後限りなく増殖する。そう覚悟したほうがいい。