広島原爆の日とリオオリンピック開会式

オリンピック開会式を見ている。

この華やかさの裏に世界では、飢餓や貧困に喘ぐ人がいて、戦渦に苦しむ人がいる。開会式に参加している国家においてもだ。この日本でも貧困や格差、いわれなき差別に苦しんでいる人がいる。

相変わらず時間感覚をも失ったホームレスのおばさんは早朝から空き缶を拾い集めている。

この華やかさの裏に世界では、哀しい過去があった。戦争があり植民地化があり人々は自由を奪われ命を奪われた。広島と長崎に落とされた原子爆弾、それは未だに人々を苦しめている。
オリンピック開会式の少し前、平和祈念式典を見ていた。

たぶんね、ボクたちに必要なのは、キチンと戦えるやさしさと、キチンと抱きしめられるやさしさ、なんだろうと思う。強さは必要なんだろうけれど、それは時として厄介なものになる。

世界は、ボクたちの住むセカイは、人間が最大最悪の武器だということを、そしてその人間から傷つけられることを、ボクたちは知っているのだけれど、ボクたちはなぜかやさしさを失くしてしまい、そうして自分自身も見失ってしまう。

開会式の笑顔が憎悪に満ちた、あるいは苦しみに喘ぐものに変わらないことを、振っている手が武器を持たないように、その能力が人を殺すために使われないように・・・。そんなことを考えていると、すこしだけ哀しくなった。

「黒ビールは元気になるよ」とタスファイの言いつけをいまだに信じているんだが・・・。

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