帰郷・室生で再会(12月26日)

豊橋駅発の始発電車に乗ったボクは、名古屋に着いてから「そうだ室生に行こう」と12年ぶりの室生に行くことに決めました。名古屋からだと近鉄線で名張、室生口大野と行けば早いのですが、18きっぷでの旅のなので出来るだけ近くまでJR利用ということに。それで桜井駅までJRで行き、その後近鉄線に乗り換え近鉄室生口大野駅に着いたのがお昼頃。

室生には知人がいて、室生に行くたびに、てか、その人に会うために室生に何度も行ったことがあるのですが、今回はなんと12年ぶり。もうお互いずいぶんと変わってるから、分かるかなあ、なんて不安も少々。


室生寺には赤い傘が似合う。赤い傘差してた男の子~、異人さんに連れられて行っちゃった♪って歌もあるしさ。

室生ってのは、国宝室生寺があるんだけれど(室生寺しかないといったほうがいいか)駅から、その室生寺までの交通の便が悪い。バスは一日4便ほどだし、室生寺から駅まで最終便が14時40分なので、お昼13時30分のバスに乗って室生寺を見学したら何が何でも帰らなければならない状況になるんだよね。

で、そんな不便な室生なので到着後電話して迎えに来てもらおうと…。しかし留守。何度か電話したんだけれど…。時は流れてバス出発の時間になったので、一大決心して13時30分の室生寺行きのバスに乗り込んだのです。知人がいなかったら、そして帰らなかったら…歩いて駅まで戻らないといけないしなあ、なんて考えていたんだ。

室生は雨。12年ぶりなのに雨かよ。それに寒いし。奈良の山奥だし、冬にはかなり雪が降り積もるところだから、このまま雪にでもなったら、かるい遭難ってことにも…。

12年過ぎても記憶ってのは確かで、てか、室生がほとんどあの時のままだったんだけれど、「あ、ここ、ここ、ここのランチ美味しかったよね、ウドなんて初めて食べたし」「ああ、ここ、ここ、この駐車場だったなあ」「あ、室生山荘ってまだある」なんて思い出していたんだけれど、肝心の知人の家が分からなくなっている。「えっと…」。

で、町外れの駐在所に行って聞いたのですよ。やはり12年は長い。

やっとたどり着いたのだけれど、まだ知人は帰ってない。寒いし、暗くなるし、もう不安になるし。このままだと軽い遭難ってことに…。ついてないよまったくね。それに完全に寝不足だったので、もう楽観的に考えることなんて出来なくなっていて、山奥の室生が「八つ墓村」とダブっちゃって、なにか信じられない事件がこの村で…。そういえば人の姿も見ないし……。

玄関の前に座って雨粒なんてのを見たり、それを写したりしながら2時間ほど過したのですよ。気温5度ほどの室生で。もう半泣き状態で。

室生の夜は早い。雨も手伝って16時ごろには薄暗くなってしまって。予め連絡しなかったボクも悪いのだけれど、留守なら留守らしく「留守です」と書いとけよ、なんて逆切れする始末で…。もう半泣き逆ギレ状態で「もう室生なんて絶対来ないもんね」と室生絶縁宣言をして、てくてくと坂道を下ってバス通りに出たのです。バスはもう来ないけれど。「来たけれど留守なので帰ります。16時。駅まで歩いているので、早く帰ったら連れ戻して下さい」って置手紙はしたんだけれど。

「国宝がある村なのに、この寂しさはいったいなんなんだ」とボクは雨の中不安と少しばかりの恐怖の入り混じった気持ちでした。駅まで2時間ほどという距離が永遠に思えていました。神も仏もいない。「また置き去りかよ~」気持ちは萎えていました。

唯一あるガソリンスタンドをの横を歩いているときに、一台の車がボクの横で停まったのです。「???○○○○?何やってんのよ」

「何やってるって、手紙見た?」
「見た見た、で、急いで駅まで行こうと思ってね」
「ついてる?」

救われた。


いくら原色好きのボクでも、この色の傘はないだろ。実は室生口大野駅の貸し傘。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA