寝台列車

昔の駅弁の、あの杉の木かヒノキの木を模造した箱は、今と違って米粒がずいぶんとくっ付いて、というか、こびりついていて、食べにくかった。お米の炊き方が変わったのかもしれないけれど(コンビニのおにぎりのように食用油を足して炊くような)、この頃の弁当はそれほど苦労せずに、きれいにひと粒も残さずに食べることができる。それはそれでなんとなく不自然なようにも感じる。

最期に寝台列車に乗ったのは、もうずいぶん前になる。最近は「夜行」といえば列車ではなくてバスになってしまって、情緒みたいなものが失われてしまったように思う。合理的にただ移動する目的だけに夜行バスは存在する。流れゆく街の夕景をみながら駅弁を食べる、そんなゆったりとした旅ではない。出発時間がすでに夕食後の21時とか22時、あるいは日が変わってなんて時刻なので、「あとは寝るだけ」という設定になってしまっているのも、情緒なんてものを感じさせない原因かもしれない。列車と違って密室だし、お酒なんて飲めるような雰囲気でもないので、とにかく「寝なきゃ」そういう強迫観念が制圧している空間という感じもする。

社会全体が合理的な快適さを求めるようになったように、夜行の旅も、というか、交通機関すべてが「速さ」とか「安さ」なんてものを、とかく求めがちになっている。関越道の夜行バス事故のように、その「安さ」なんてものが「危険」を内包している場合もある。

東京から博多まで新幹線で6時間の時代に、わざわざ同じぐらいの値段で乗車券に寝台特急券を買ってゆっくりと移動するなんてムダを経済的損失だと捉えて国策としてカイゼンした、ということなのだろうと思う。

今日、仕事帰りにダイソー(100円ショップ)に行くと「ブルートレイン富士」があった。ダイソーにあることに驚いたりもしたし、なにかとても場違いなようにも感じた。

「ひとついただくか」と買った。アパートに帰ってコロコロと転がしていたら、弁当のことが思い出された。そして悲しみの駅のことが思い出された。「さよなら」の駅だ。たとえ帰ったとしても、その数日後には別れが待っていた。駅は悲しい。

駅という結界。喜びと悲しみ。出会いと別れ。希望と挫折。生と死…。

天の川の下に遠ざかる駅舎の灯り。左手には海、漁火がまた空へと続いている。海のにおいは浜に打ち捨てられた魚の腐臭。ガタン、と、揺れた瞬間に、ボクはボクの足元を見る。そこはもう汽車の上だった。地上のどこでもない位置に、ボクはいたのだ。

さよなら – 道中の点検

ブルートレイン はやぶさ、富士

2件のコメント

  • さといもさん、どうも。
    >時間がかかりすぎる
    きっと、そのあたりで、旅に対する文化がどうもまだまだ未熟なんだろうなあ、なんて思ったりします。
    花見なんてのも同じで、名所に行く間にどれほど綺麗な花が咲いていても見向きもしない、それどころか踏み躙って桜を見る、それがこのごろの日本人のカタチのような。

  • JRが分割されて連携が取りにくくなってきた
    車両の老朽化、だけど新車を作る費用がない
    新規新幹線開業による一部区間の経営分離や電圧の変更
    定員が少なく昼間の列車としての運用もできない
    都市部のラッシュ時に重なるとダイヤを組むのが難しい
    かなり長距離の列車だと出発および到着時間が中途半端
    といったあたりがよく言われる理由だったりします。
    トワイライトエクスプレス・北斗星などは高級路線を前面に出し一定の需要はありましたが老朽化や新幹線開業を理由に姿を消しました。
    ゆっくりくつろぎながら移動するのなら長距離フェリーもありますがあまりに時間がかかりすぎるので実際に使うかといえば難しいところではあります。
    出発が深夜だったり港へのアクセスといった面も含めて。

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