個性なのですか?

本当に個性的なファッションやら髪型なんてのを街角で見ることは、ほとんどなくて、個性的だといわれているものってのは、だいたいにおいて、どこかで見たことのあるもののほうが多いですよね。そのどこかでみたことのある機会が少ないものについて、それを目の当たりにすると「個性的だね」なんて言ってしまうようです。

例えば、ドレッドヘアなんてのは「個性的」なのかもしれませんが、あれはボブマーリーなんかがやっていて、ラスタファリズムの人たちにとっては当たり前のような髪型ですよね。ターバンを巻いている人が名古屋の街中を歩いていたとしても、やっぱりそれはシーク教の人たちにおいては一般的ですから、そのまねをしたところで、果たしてそれが個性的なのかどうかということに対して、非常に疑問に思うわけです。
ファッションなんてのも、やはりカッコイイモデルがあって、そういう風にしていますよね。流行、ファッションなんてのは、そんなもので、いくら奇抜な格好だとしても、どこかで必ず一人や二人似たような感じの人を見かけるものですよ。
しかし、それも似合っているかというと、話は別で、ドレッドヘアなんてのは、どうもボクのような大和顔には似合わないだろうし、やはりボブマーリーのような顔つきの人だから似合うように思います。
客観的に自己分析できる力が求められるというのが、ファッションなのかもしれませんね。いくら個性的であったとしても、それは単なる奇抜なものだったり、奇妙な形だけだったりのものだと、個性的というよりも不思議な人という感じを強く受けますよね。
鏡を見ることは大切なことで、その自己分析をするためにはやはり自分を見ないといけませんからね。その上で自分が似合っていると思ったら、その格好をすればいいだけで、それでも人がおかしいと言うのならば、なにかが欠けているのだと、思ったほうがいいでしょうね。何か…美意識とか。
田原工場にも、非常に個性的な人がいて、「誰か注意したほうがいいですよね」なんてNくんが言っていましたが、ボクは「オレたちのほうがオカシイって言われるかもよ」と、ま、それも、価値観の不一致で片付けられてしまいそうな問題なので、やはり、性格の不一致があるように、そこは黙って大人の対応をしたほうが良いのだろうと、思ったのです。
ま、一年中半袖のTシャツで出勤しようが、ピンクのハート型のフレームのメガネをしていようが、それはそれで、本人の意思でやっていることなので、それに「従業員規則」に衣服に関することがないので、やっぱり「注意」なんてのは出来ないのだろうと思っています。
それに、ま、彼らから見ると、ボクたちなんてのは「なんて没個性なんだ」と思われているのでしょうし、「オレのピンクめがねが悪いんなら、お前のその間抜けな色のフリースをなんとかしろよ」と言われるのがおちなのでしょうね。他国の文化についてイチャモンをつけるようなもので、「オレっちは4000年前から割り込みしてんだよ」なんて行列を作れない国に対して、「それはいけないことです」なんて意見しても逆ギレされるようなもので、もう相手に支那いほうがいいってもんでしょうね。
そういうボクの部屋には鏡がなくて、(てか、見てもしからないからね)明日は100円ショップで買おうかと思っているのです。ま、見ても感動するような顔でも、惚れ惚れするような顔でもないので…。

2件のコメント

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    こんばんは
    個性的であるということは、ですから、たぶん、かなり勇気がいることだと思いますよ。前例がないことをするってことなんかも、そうでしょうから、本当は難しいことでもあるんでしょうね。
    それを考え出せる人ってのは、かなり能力がある人でしょうしね。
    ま、ほとんどの場合は、やっぱり少数でも多数でも派があるってことなのかもしれませんね。
    でも、これだけいたら…一般社会と比率的には同じなのかも?

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    「個性的」って言葉、自分の思想、趣味趣向から外れた少数派…を指してしまいます
    どちらかと言えば良い意味ではなく、多少の軽蔑も入った感じで使ってるのでしょうか
    あくまでも基準は自分なんですよね
    それにしても…寮には個性的な人が結構いました

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