格差という比較、そして幸せのはじまり

格差ってのは、ようは比較なわけで、自分と人を比較するから、格の差を感じるのだろうし、回りが全く同じ状況、例えば一億総中流なんて言われてる時代は、格差があったとしても、比較することも少なかったのだろうし、その位置まで行けると信じていたのだろうし。
(全員が餓死直前の状態というのも問題で、今は全員とまではいかなくても、多くの人がその方向に向っている状況なのかもしれなくて、そこが格差問題と幸福論と分けなければならないところだと思っています)

幸せのはじまり (sugarless//)
「幸せのはじまりは、自分と人を比較しなくなった時」
 (不幸のはじまりは、自分と人を比較すること)
もう少し、自分のココロを緩めてあげて。
もっともっと幸せになって貰いたいのです♪

#「大切な大切なお友達」ではないので、ま、TBするのもなんなんですが…。
その「比較しなくなった時」が来ると、幸せになるでしょうね。それはみんな分かっていると思うのですよ。例えば年収500万円の人と年収120万円の自分を比較しなくて、クーラーがない生活や、携帯やDVD、ましてパソコンなんてない生活でも幸せと思うことが出来るのか、ということになると、それはちょっと…、なんて考える人の方が多いと思うのです。
その原因を探しても、結局は運とかツキなんてことにしか行き着かないとしたら、もう気持ちは「比較しなくなる」のではなくて「諦めてしまう」とか「開き直ってしまうとか」なんだろうと、そして、自分の人生を憎悪してしまうとかになっては、ココロを緩めるどころか、目付きまで変わってしまったり、するのだろうと思うのです。
ま、その120万円とかそれ以下の年収でも考えようでは(考えようだから、それも比較しなくなったというよりも、諦観とか諦視なんてことになるのかもしれないけれど)とても素晴らしい人生は送れると思うのだけれど、それは、どうなんだろう、かなり物欲をなくした、ようするに金と縁を切った生活になると思うのです。
でも、そう「思うボク」ってのは、そうなるボクと、今のボクを比較しているわけで、「自分と人を比較する」と同時にボクたちは「自分と自分を比較する」ということを、絶えず行なっていて、それは子供の時から比較されて、そしてその比較する対象よりも上に行くことを親から教師から言われ続けたボクたちの、なんていうか、トラウマみたいなもので、「競争はダメなのですか」なんて言葉になって還ってきてしまうのだろうと考えているのです。
結婚なんかも、そういった相手の比較みたいなもので、経済的とか、ま、ルックスとかで選んでいるでしょ?ま、ココロを緩めるっていうのは、そういった社会の価値観という呪われた縛られた縄を緩めて、そして自己解放させることなんだろうと思っているんだけれど。

場末のうらぶれた食堂で焼酎を飲むのは幸せなんだけれど、最近はファミレスで飲むほうが安上がりだったりして、ジョイフルとかガストなんてのは、ボクにとっては24時間営業の居酒屋みたいなもんで…。

2件のコメント

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    ども。
    う~んと、「結婚相手を見つける活動」って、胸に「結婚相手募集中」なんてカード下げてるとか?なわけないから、それは、なんだか「活動」ってのがすごいと。
    経済的かあ、えっとね、あれだったらcooさんが食わせてあげれば?そしたらもっと楽になるかも。
    てか、大好きな人が現れたら、それも考えるのだろうけれど。いろいろな条件を挙げると、キリないよねえ。
    ま、別に結婚しなくても、幸せなら…。それか、結婚して、幸せを造っていくとか。初めから幸せがあると思っていてもねえ。そんなのきっと崩れることもあるのだから…。
    幸せなのに、もっともっと欲しいと思っている人が多いからね。よく言うのだけれど、そのポケット一杯に幸せを持っていて、まだ欲しいと思っている人が多いかな。ほんと、欲望ってのはキリがないから。
    ま、オレが言うのもなんだけれど…。
    ああ、ま、また飲める日があると良いけれど、なんかなさそうな気もする。てか、その活動が実を結ぶと無理っぽ。

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    トラックバックありがとうございます♪
    自分のHTML知識が乏しくて「最近のトラックバック」を表示出来ない状態で
    「折角のトラックバックなのに~」と苦戦してたり(苦笑)
    今年に入ってから結婚相手を見付ける活動を始めました。
    経済的な部分を第一条件に挙げてたのに、それを止めたら随分自分が楽になりました。
    母は私に経済的に豊かな人と結婚して欲しいみたいだけど
    それは所詮彼女の見栄の為だけだから、私自身の感覚を大切にして行こうって。
    そうは言いながらも「最低限ここまでの暮らしを」って望んでる自分も居ます。
    この記事は「大切な大切なお友達」さんが
    近所の子供さん達はあれこれ習い事に行ってるのに
    自分の所は…ってのを気にして”格差社会”って言葉を使ってたので
    むむむ。って思って書いた日記。
    彼女はちゃんと結婚して#私はいまだに独身だし
    3人の子宝に恵まれて#まず相手から見付けなきゃだし
    一軒家も買っちゃって#そんな収入の旦那さんなら良いぢゃん
    なんて、とても羨ましい感じながらも
    同居のお姑さんの事とかご苦労されてる様子。
    きっと彼女にしたら自由な私が羨ましく思えるのかも。
    私は彼女の事を羨ましいとは思わない。
    この歳で独身でも出世して無くても自分の中で幸せだから。
    彼女にも今ある幸せを大切に思って欲しいなって。
    とりとめの無い文章になりました。ぺこり。
    「そう考えてたら酔いが回って来た」そんな感じです。
    いつかまた。24時間居酒屋でお酒をご一緒したいです。

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