かなしみの日曜日の夜と、かなしい月曜日の朝

「どうして僕はこんなにかなしいのだらう。」
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のジョバンニの言葉です。
どうしてかなしいのでしょうね。このかなしい気持ちになることからは脱け出せないし、慣れないでいる…。心が救われないと表現したほうがいいのでしょうか?どこにもボクの逃げ場所がないような…。

どんなことでもいつしか
あなたの微笑みに変わればいい
どんな些細なことでも
穏やかな気持ちあげれたらいい
「あじさい」山崎まさよし

昨日はお昼前から晴れてきたので、豊橋に行こうかと思って、そして気が向いたら名古屋へ行って…なんて考えていたのですが、三河田原駅の手前に来たら、なんだか寺町のほうへと誘われてしまって…。
紫陽花も咲いていましたが…。人様の家の庭の中だったり、軒下だったりで、なかなかそんな場所で写真を撮るのは出来なくて。写真を撮るってことに照れみたいなものがあって、それに街中だと人が写りこんでしまうので、それも申し訳ないですし…。中には写真を撮られのが嫌いな人もいるでしょうから。(ボクもそうですけど)
だから、けっこうコソコソ写しているような感じなのですよ。写し始めると夢中になるのですが。そしていろいろボクのほうがポーズをとって、写すのですが…。ま、それほど、たいした写真でもないのだけれど。
そんな写真でも、そしてここに書いている文章でも、きっとボクを救うものだろうと、きっとボクの逃げ場なのだろうと考えています。というか、人の行動というものは、全て救済のためにあるのだろうと(それは自分へ、そして他人へ向けられるのでしょうが)考えています。(というか、そんなことは多くの人が言ってきたことなのですが)
それは行動するということで他者と繋がるということなのでしょうが、それでは、こうしてひとりでいる、孤独な時間というのは、さみしさから脱け出せないのでしょうか。結局、四六時中誰かと話したり、誰かと手をつないだりしていなければならないのでしょうか。気持ちが繋がっていること、なんて考えても、そんな実体のないものに…。
センチメンタリズム、ボクがこう思うことやボクが書いていることはそうなのでしょうか。
トヨタ期間従業員として寮に住んで暮らすことは、そんなにかなしいことなのでしょうか。
このさみしさはどこからくるのだろうか、なんて考えているのです。

9件のコメント

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    おはようございます。
    >もっちんさんへ
    自分ってものも、やはり集団の中では難しいですねえ。我、自我ってのが存在だとしても、それが全面に出すぎると、その集団からはじかれるのでしょうし、それを我慢するとやはり埋もれてしまうのでしょうね。
    集団の中でのやっぱり距離感とかバランス感になるんでしょうね。
    >今井Kさんへ
    ああ、今井Kさんってそんな感じですよね。
    おもしろい事をさらにおもしろく…
    って感じもしますし…。
    一直の9時だと…ボクはもう寝ている頃かなあ。で、4時起床だから。
    今日なんかはあの温度計が30度を越えていたかも。ってか、あの門の温度計って、意味あんのかなあ。

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    おもしろき
    事も無き世をおもしろく
    棲み成す物は心なりけり
    バーイ高杉晋作

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    孤独感って奴はやっかいで
    私なんかの集団やら団体行動が苦手な人間でも
    ふと訪れる時が多々あリます。
    友人やら職場での人とのふれ合いが
    その孤独感を埋める役目を果たしているんでしょうけど
    友人はともかく、職場では距離を置いていかないと
    こんどは逆に自分が集団に埋もれるようで
    特に自分の考えと真逆の物が集団の論理となっている場合はね
    そのバランスがとれてる人が
    孤独を愛する人とか呼ばれてるのかもね
    孤独に呑まれて壊れた人を何人か知ってますので
    その点である意味すごいとも思います

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    おはようございます。
    自己表現の場所がないってことでしょうか。自分の喜びというのも、必要とされるのも、行動の中から抽出されるものでしょうから…。
    結局、はる@さんがおっしゃられるように、「自分の」ってことかもしれませんね。自分の存在ということになるのでしょうか…。

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    もっと寂しいのは、誰にも必要とされない、する仕事がない
    ということ。

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    それって、自分の喜びを見つけられないってことじゃないかなあ。

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    コメント、ありがとうございます。
    人が耐えられないさびしさって、どんなものなんだろう。。

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    アリさん、おはようございます。
    てか、エントリー直後だと、ちょっとビックリするんですよ。
    えっと、なかなか難しい問題っていうか、みんなが感じることなんだけれど、その対処法ってのが違うのだろうし…。
    きっと介護なんかの世界では、研究が進んでいるのではないかと思ったりしているのですが。自分の身体が動かなかったり、死を考えたりしている毎日では、かなしさやさみしさってのは、ずいぶんと違う存在として圧倒的に心にあるのだろうと思っています。
    宗教もそうなのでしょうが…。

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    さびしさへのさらなる考察、期待してます。

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