夕暮れ、ジャスコ田原店裏の彼岸にて、普通の人生はなんて考えながら、ボクは歩いていたのだ。

ジャスコ田原店裏の田んぼから蔵王山に沈む夕陽を見るのは好きで、よくあの辺りを歩いていたりする。犬を散歩に連れてきている人か、ジャスコ帰りの期間工しか歩いている人はいない夕暮れ時の道。ボクは夕陽が沈むと終わる時間をただ過していた、うつむきかげんにだた歩いていた。
時は流れていて、それでも、ボクはどこに向えば良いのか少し戸惑っていて、ジャスコに行ってなんか買おうか、それとも、本屋に行って立ち読みしようか、図書館でこれまた同じようにただ過ぎ行く時間を待っていようか、なんて思っては、そっちの方向に歩いていた。
待っているものは何もなく、ボクが、例えば、ここで失踪しようと、例えば、形式的にGLや寮事務所の人が探してくれたとしても、例えば「きっと仕事が嫌になって逃げたんだら」で、終わらせてしまうのだろうと、考えていた。

普通の人生とか、人間らしい生き方なんてのは、そんなに難しくなくて、きっと、帰る場所があって、そこにはやっぱり人がいて、少しだけでもいいから会話があって(言葉ではなくてもだ)動物的に言えば巣があるような、そんな毎日なんだと思う。あるいはそれが約束されている日々だと思う。
「なんでもないようなこと」とか「ありふれた毎日」とかいう表現で言われるソレなんだけれど、ボク/ボクたちはそんなことからかなりかけ離れた生活を送っていて、灯かりのない、人の気配のしない、そして食べ物の匂いもしない部屋に戻らなければ終わらない日々を過している。
めざまし時計の音で起き出したボクは、ほぼ自動的にインスタントコーヒーを甘くしたのを飲む。工場に行く仕度をして、そしてバスに乗り込む。バスは正確に、ちょうどめざまし時計のように発車する。時計という起動スウィッチによって、ボクはラインに乗ってしまえば、あとは、終業の時間が来て、また帰りのバスに乗って、スタート時点に戻ってくる。
朝飲んだ甘いインスタントコーヒーの匂いが残っている部屋。そこだけが時間が過ぎないでいて、というか繰り返されているという感覚で、ちょうどボクたちが毎日やっている、仕事と思っている作業と同じで、毎日毎日同じことの繰り返し。タクトタイム分過ぎ去った時間は、また戻ってきては、タクトタイム分過ぎ去る、繰り返し。
同じ場所に戻っているということを分かっているのに、焦る、急ぐ、慌てる。
人生だ。
そろそろ、そんなことに終止符を打って、ボクは彼岸に向いたいと、強く考えながらジャスコ田原店裏の道を歩いていたのだけれど、また時間が来れば自動的にボクはラインに乗ってしまって、そして落とされないように、ジタバタしているのだろうと思うと、少し悲しくなった。
そしてジャスコに行った。レジのお姉さんに「ありがとう」と言った。それが1日分のコトバだったんだ。

9件のコメント

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    稀さん、こんにちは。
    そうですねえ、始まってしまえば…。そして仕事中は、かな。
    ボクは、今は、自分しか出来ないなんて思えないし、ミスすることもあって、そうなると、なんていうか、そのミスで落ち込んだり。単純であれば単純であるほど、自己否定されているようでもあって。
    明日明後日は、天気が良いのかな。ボクも、元気だったら田原の山にちょっと登りたいと思ったりしています。
    失踪しても良い自由、ま、それはありますよね。ボクなどは、家族にしてみれば失踪しているようなものだし、探す人もいなかったりで、ちょうど良いかもしれないと、おもったりしています。

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    仕事とは。
    個人的にはすごくいやなわけではありません。毎日準備して
    出かけるのは苦痛ですが。
    始まってしまえはこっちのものです。
    個人的に社会との接点がなくなってしまうほうが今の自分にはつらいです。自分の存在意義を見出したい・・・。家庭内でも職場でも・・ラインで働くとライン上その工程は自分に任されたものであって自分でなければできないなんて思ってます。
    それが強がりであれがんばれという気持ちになります。
    天気のいい日に年休もらって好きなものを食べて大きなお風呂に入って掃除して洗濯をします。
    新しい下着を着て靴下を履き・・ストレスを発散します。
    そんな小さなことに幸せを感じますよ。
    十代のころパスポートも海外に行きたくても予約の1つも自分で取れないころの自分より。今のほうが幾分かましです。失踪しても良いという自由があるから。

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    >ROM者さんへ
    えっと、ありがとう。
    なんてか、書いてる本人も泣いていたりして、う~んと、ま、亡き男じゃなくて、泣き男なのですよ。
    >小心者さんへ
    何のために生きるのか、というのは、きっと自分のためだったり、愛する人のためだったり、するのでしょうね。
    それでもおっしゃられる通りに、そうなっているのか、という疑問は誰しもが持っているのだろうと思っています。ボクたちのように。
    きっと、自由ってのも人によってその定義は違うのだろうし、なだれこんでくるものでもないのだろうし。
    ただ、自由でいっぱいの空間ってのも、それはそれで不自由なのかもしれないし、きっと、そんなところでは生きていけないのだろうと思っています。
    何かが隣にあって、それを不自由に思うか自由と思うか、なんてことなんでしょうが。
    その自由なんてのを探すことも、ボクたちには必要なこと、というか、楽しいことなのかもしれないと、思っているのです。
    1日30分の自由とか…。
    >しおまる@豊橋さんへ
    日曜日はお祭りでしたね。花電車も走っていて。
    遠くに転勤なのでしょうか?それでも、ご飯を作ったりすることは、けっこう楽しかったり。
    転勤の不安もあるのでしょうが。
    きっと、夕陽だけじゃなくて、何かが見えたりするのかもしれませんね。う~んと、へんな霊とかじゃなくて、幸せの形とか…。
    週末に帰れるぐらいの距離だと良いですけれど。
    >septerさんへ
    ありがとうございます。
    ラインで働くってことは、きっと、精神状態が微妙に緩んだりするのかもしれないですね。
    ボクは、作業中は、あまり考える余裕もなくて、ジタバタしてます。時折叫びたくなるのですが。1日何度も叫びたくなるかな。
    作業後とか休日なんかに、とてつもなく落ち込むことがあります。それは、やはり繰り返されることへの悲しさみたいなものだと、思っています。
    >佐藤さんへ
    ボブ・ディランですね。
    そう言えば、CDがありました。「風に吹かれて」も良いですけれど、これも良いですね。
    でも、ボクは最初から転がってばかりだったし。
    >パヴェルさんへ
    塔?それともサッカー選手のかな?
    1年もいれば十分かも。
    ああ、そうですね、自然にというか、その向こうというか、こちらというか、ちょっと違った風景への思いですよね。
    ボクは、きっとみんなそうんなことを考えながら、あの道を歩いたり、そしてぐるりんバスを待ったりしているのだろうと思っています。
    多分、ボクは、そんな経験をすることは、良いことだと思うのですよ。なんていうか、寂しさや悲しさの素が何であるか、その人なりに分かるのだろうし。優しくなるのだろうし。
    感情が動くということ、感動するっていうのかな、それは人として一番大切なことだと思っていますから。
    そんな、優しさの溢れた文章だなあ、って思って読ませていただきました。ありがとうございます。

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    夕暮れ、ジャスコ…。堪らないですね。
    初めまして、いつも懐かしく、そして興味深く拝見しています。
    私事ですが、僕は数年前に期間従業員に応募し、田原工場の組立て課に配属され、田原寮で暮らしていました。正社員登用試験も一度受けたりなんかして。もちろん、あっさり落ちましたが(笑)
    仕事はキツかったのですが、当時二十代前半で地元以外で暮らす事が初めてだった事や、若くて何も考えていなかった事(笑)、周りの人間に恵まれていた事もあり、居心地良く楽しく過ごせました。
    結局、帰らなければならない事情ができて一年で地元に戻りましたが、僕にとって様々な事を考えた貴重な一年間になりました。
    このブログを読んでいると、あの頃の出会い、風景、感情、悩み等思い出されます。
    田原笠山さんのおっしゃる通り、田原の夕暮れ、夕焼けにえらく感動した記憶が僕にもあるんです。
    ただ、素直に自然に対し感動するのとは少し違って、言葉にできない複雑な気持ちだった事も覚えています。
    今でも僕にとって、田原で見た夕陽は少し特別なものとして記憶に残っています。
    トヨタがどうこう抜きに田原という場所、人も大好きです。
    文才もなく、勢いで書いてしまい長文すみませんでした。
    満了へ向け、応援しています。
    それでは。

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    転がる石のように
    (1)
    むか~し、むか~しある所に、良い服を着て乞食に銭を投げる若いおまえがいました。
    周りの人々に、「気をつけないとお前もおちぶれるぞ」、と
    忠告されていたのに、若いおまえはそれを冗談だと思って聞き流していました。
    だけど今のおまえは一体どうなんだ?
    次の飯を食うために金をかき集めないとならない有様じゃな
    いか。
    大声でしゃべらなくなったし、全然自信も持って無さそうだ。
    帰る家もなくて、誰にも見向きもされないってのはさあ、
    一体どんな気分なんだ?
    (2)
    孤独なご婦人よ、おまえは一流の学校に行ってました。
    だけど結局そこでは消耗しただけでした。
    誰も路上で生きていく術を教えてくれなかったから、
    今になってそれを自分でまなばなければなくなってしまいました。
    おまえは怪しい浮浪者なんかからは(ドラッグ)買わないと言っていたけど、
    今やおまえは彼が確かにそこにいると気がついている。
    だから彼の真空のような目を覗き込んで、取引しないかと持ちかけたんだよな。
    で、どんな気がするんだ?
    たった一人で帰り道もないまま、石ころみたいに転がっていく気分は?
    (3)
    手品(ペテン)師や道化師たちが後ろから近づいて来ておまえを騙したときも、
    おまえは決して振り返って彼らの真剣な顔を見ようとはしなかった。
    それがちっとも良いことなんかじゃないということを分かっていませんでした。
    おまえ気分次第で誰かをからかったりするべきではありませんでした。
    おま肩にシャム猫をのせたおまえの外交係と、よく一緒に車に乗っていたな。
    だけど結局奴は盗めるだけ盗んで、おまえのそばから消えてしまったのに気がついた時は、
    さぞかし辛かったことだろう!
    だから、どんな気がするんだ?
    たった一人で帰り道もないまま、石ころみたいに転がっていく気分は?
    (4)
    塔の上の女王や他の全ての上品な人たちは、酒を飲んでいました。
    そしてそれができるのは自分たちの力のおかげだと思っていました。
    あらゆる種類の高価な贈り物を交換していました。
    だけどおまえはそのダイヤの指輪を質屋に入れておいたほうが良かったのでした。
    おまえはよくボロを着たナポレオンと、その言葉遣いを面白がっていた。
    さあ、彼の元へ行けよ。おまえを呼んでいるぜ。おまえに
    断る権利はないはずだ。
    何もなくなったということは、何も失うものがないということだろう?
    おまえの姿はもう透明で見えちゃいないよ。
    隠すべき秘密なんてありはしない。
    さあ、どうだい?
    たった一人で帰り道もないまま、石ころみたいに転がっていく気分は?

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    こんばんは。
    はじめまして。最近よく寄らせてもらっています。
    僕もかつてトヨタグループで仕事をしていました。
    工場のラインは研修で1ヶ月半?くらいの経験だったと
    思いますが、研修でライン配属された頃の心境は今も
    強く残っています。
    田原笠山さんが最初の頃に書かれた心境を読んで
    自分と同じだなと強く共感し、初めてコメントしました。
    体は単調なリズムを繰り返し、頭はというと逆に哲学的な
    ことばかり考えていました。
    その間に人生とは何か?など深く考え、後々の転職に
    大きく影響したように思います。
    今後も楽しみに読ませていただきます。
    体調には十分お気をつけください。

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    転勤が決まってしまいました。当然のように単身赴任です。寮ではなくアパート暮らしになるので食事も作らないといけません。わたしも会社帰りに夕日を見て歩くのでしょう。

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    はじめまして
    切ないですね。
    誰のために働いているのか、わからなくなることがよくあります。
    きっと、自分のためなんでしょう。
    本当に、自分のためになっているのかどうか。。。
    会社のためではない。
    大切な人がいるわけでもない。
    何が手に入るわけでもない。
    自由になりたいです。
    金のためでも、会社のための毎日でもなく、
    自由が欲しいです。
    この世に、自分の人生に
    自由がないように思えてなりません。
    ネガティブなコメントですいません。
    田原笠山は何歳ですか?

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    切ない。
    文章を読んだらなんだか涙がにじんできてしまいました。

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