経験の価値
豊かさってのはそういうことなのかもしれないね。
遠く思い出す昔の記憶が、今とは全く別世界だって
そんな私達はある意味豊かだと思う。
ずっとこの場所で、ずっとこの国で、まるで進歩という
変化も、後退という変化すらないままに、死ぬまでの
時間をやり過ごしている人たちよりも。
* kemami * 2008/02/17 1:32 AM *
満了間近。
今日は部屋の片付けをしていたのだけれど、1年前ダンボール箱ひとつと40リットルのバックパックひとつだった荷物はその倍近く増えていて、思い出もその分増えていて、この狭い6畳一間の部屋を窮屈なものにしている。
捨てることのなんと難しいこと。
あるいは捨てることのなんと簡単なこと。
その決定は将来という時間の速度よりは、過去という時間の重さなのかもしれないと、考えている。
あるいは近づいてくる瞬間の曖昧さよりは、遠ざかる瞬間の確実さなのかもしれない。それが人の重量感だと思うのだけれど。
豊かである、という心のあり方なんてものは、それを計る度量衡なんてものがない。そして例えばその記憶をたぐり寄せて言葉に置換する能力でもない。それはたぶん夢を見ることの自由さみたいなもんで、例えば「あのアディス・アベバのアパートの階段の手摺の冷たさ」みたいな表現を出来るか出来ないかなんてことなんだろうと考えていると、きっと、これだけ具体的にメディアを通して多くのことを自己記憶として置き換えることの出来る時代だとしても、その瞬間を経験しなければ、そして時間的経過の上で「ああ、そういえば」と思い出すその冷たさという感覚みたいな、夢のような実際の感覚の量なのかもしれないと、思っているのだけれど。
経験主義うんぬん、と言っているのではなくて、「ずっと」という変化(それは「進歩」だろうし「後退」だろうし)のない生き方、要するに安定ということだけに幸福を考えることへの苛立ちだったりするのだけれど…。
なんて考えているのだけれど…。
さてと、片付け片付け…。
おかえり。
そういえば、私の周りにもコピーライターと名乗って
会社案内の原稿書いたりしてる人が結構いるよ。
そして、その人たちに聞いたら、コピーライターに
なるには、まず名刺に「コピーライター」と印刷して
もって歩くことらしいよ。
どうどう?
満了間近ですか。
私は以前にも笠山さんの文才についてコメントした者なんですが、貴方のような人が資質や才能を生かされない仕事についているのは本当に納得いきません。
私にもう少し力があればこの地方のPR誌の編集プロダクションや出版社などを紹介できるのですが、いかんせん私自身もいつ仕事を切られるかわからない身の上で、自分の無力さを残念に思います。
しかし、私の見る限り、田原さんほどの筆力があり、多岐にわたる知識を持っているライターは三河地方にはそうはいません。
三河地方は今トヨタ景気で地元のレストランや居酒屋などのPR誌やリクルート雑誌が何冊も出ており、それだけで食べているライターやカメラマン、デザイナーもたくさんいます。
愛知県三河地方は田舎ですが、その割に仕事は多い。
名古屋市よりも多いです。
それは製造業だけじゃありません。
東京や大阪よりも競争が少なく、東京や大阪よりもクリエイティブな仕事のチャンスも多いんです。
管理人さんもそういう仕事をされるといいのに・・・と思っているんですが・・・
>稀さんへ
鍋が好きな職場なんですね:)
どう見られても半年だから、とか、1年だから、とかボクも思いますよ。ずっと居るわけじゃないしね。ま、稀さんの場合は違うだろうけれど…。
うまく伝えられない、というのが多くの人の持っている悩みなのでしょうね。それだけのことなんだろうけれど…。
んでも、それは、恋人でも家族でもないのだから、無理なのだと思っています。沈黙できる間柄っていうかね、それが出来るといいのだけれどねえ。
>オーリーさんへ
すごい装備ですね。
ボクは一台に1本あるいは2本なので…。
もうすぐですね。
そう思うと風景も愛おしくなるのだろうと思っています。
結局パノラマカーにはいまだ乗ることができないでいます。そんでも、もうここに来ることがないってことでもないし、年3回の青春18きっぷもあるし、なんて思っています。
そして18きっぷを使って、また帰ろうと思っています。
オーリーさんも、も少しだから、頑張って下さいね。
>北海道の正宗さんへ
お久しぶりです。
もう1年が過ぎてしまいました。それでも毎日は同じことの繰り返しで、自分の年齢とかまで分からなくなるような感じもしています。
仕事が人生を決めてしまうのなら、なんだかもうどうでもいいや、なんてことも考えたり…。
去年から最長延長すると仕事を斡旋してくれる制度ができましたが、それもなんだか…。
母親へは、そうですね、連絡はしようと思っています。それぐらいしか出来ませんけれど…。
田原ですか。行く時にはぜひご連絡下さい。
ありがとうございます。またコメントしてください。
また「離愁」だね。2006年12月のように寂しいよ。
地方には、個室・社会保険付き手取り20万という職はなく、30半ばの息子は3回目の期間工。正月に帰省して飲んでも、うまい酒ではない。何回経験しても、技術・資格も得られず、歳だけ取って将来も保証されない。若い社員にいじめられ、責任を負わされ、酒・ギャンブルで憂さ晴らしとか。
62の私も土日競馬でやられ酒を飲むので、忠告も説得力ないのでしょう。
お母さんにたまに便りを。老いて、やがて死んでしまいます。
息子や君が汗と涙を流した田原を、私も死ぬ前に見に行こうと思います。
体を大事に、ブログも続けて下さい。ずっと応援しています。
帰りの渥美線は新なのはな号でした。
あの奇抜な車両にも、あと何度乗車ができるのだろうか?
今は毎週のように週末になると衣浦臨海や名鉄三河線の撮影、パノラマカーへの乗車に繰り出しています。
どうやらパノラマカーも、今春で6両固定の編成はほとんどが廃車になってしまうようです(以前に笠原さんがおっしゃられていた名古屋本線の特急や快速特急に使用されているのはパノラマカーではなくパノラマスーパーです。念の為…)
関東に居て、何の縁も興味も無かったこの車両の終焉に立ち会えた事を今は感謝しています。
それにしても機材一式、(ボデー×2、レンズ80-200ズームに300と50と35の単玉に中型三脚)を担いでの1日行脚は辛いです。
自分も荷物は段ボール函を3つまでにまとめないとですね。
今日は鍋会がありまして・・・。
気分的には重いかな。
生き方が違ったり・・プライドがあったり・・・。
うらやましかったり・・・さげすんでみたり・・・・。
こんなに色んな感情があるのは久々だ。
人からどう思われてもいい。
ぐらいの覚悟で頑張っているのだけれど・・実際は一番見れれかたを気にしている自分が居たりして・・自己嫌悪。
まだまだ修行がたりません。
かたづけ頑張ってください。