人生の目標設定って、どうなんだろうなあ、有効なのかなあ?

目標を設定する、ということは有効とされている場合がほとんどなのだろうね。たとえば宗教も、たとえば啓発本も、たとえば教師もそう言うだろうし、人生ということだけではなくて、スポーツでも学問でも、結婚ということも、その目標設定のひとつだったり、出産(家族とか子孫なんて感じの)もそういった設定された目標のひとつになってしまって、なんだか「がつがつ」した感じになったりしないのだろうか。
人生の目標設定って、本当に有効ですか? : ライフハッカー[日本版]
目標のために、たとえば手段やコストやらを考えて、「最短で」なんて人も多くなるのだろうし、まさか「来世のため」なんてことは、一部の宗教者しか目標として設定はしないのだろうしね。
子供の頃の「夢」も目標の範疇にあるのだろうか。年齢にもよるのだろうけれど、ボクの場合は小学校を卒業するときの夢は宇宙飛行士だったのだけれど、それはまだ「可能性」としてあったから、やはり「目標」だったのだろうね。
可能性があること、しか目標として設定できないのだろうか?
そうなると、年齢とともにその目標も減ってくる。たとえばボクも、ある身体の異常で、その宇宙飛行士は無理だと思ったし、何よりも中学校卒業の頃には、その「夢」は雲散霧消してしまって、別の「外交官」とかにすり替わっていたのだから、というか、すり替えなければならない事情、成績やその異常が障壁を乗り越えることが困難だと思ったからなんだけれど。
目標をタイトに設定すると、生きるのが窮屈にならないかと思ったりもする。高めに設定すると良い、なんて言う人もいるのだけれど、達成できなかった時に、やはり自信喪失なんてことになって、そこから立ち上がれない人もいるわけだし。
あるいは「出産」という目標を設定すると、子作りさえその「目標」実現のための行動になっては、愛のないセックスなんてのが当たり前にならないのだろうか。「今晩は、お日柄も良いので、それに春に子育てするのには、ここらで一発やっときますか」なんて作業になりはしないのだろうか。そしてそれ以外は「目標達成したんだから」とか「それは計画外だね」なんて理由で、いわゆるセックスレスになったりしないのだろうか、なんて思っているのだけれど。
そんなもんで、自信喪失とは逆に目標以外の無駄なことには目を向けなくなるということはないだろうか。人間関係もその目標達成のためのものになったり・・・。
やっぱりがつがつした感じがする。やっぱり失うことも多いと思う。
だけれど有効だと思うけれど、今から何の目標を設定すれば良いのか、なんて考えると「仕事をする」なんてこととか「とにかく生きる」なんてことは、ボクにとっては重大事なのだけれど、はたしてそれが目標かと考えると、少し疑問に思ったり。
というか、目標設定の有効性をボクが語ったところで、ね。

2件のコメント

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    肝血管腫?さんへ
    カッコ悪くはないかもしれませんが、ガツガツしているでしょうね。子供を産むのもその目標だとすると、愛情というのとは別問題になったりね。
    要するに、人生にコストパフォーマンスという考えが入ってくると、なんだか余裕もなくなるように思います。
    ま、子孫繁栄、種の保存のためには、年1回やっとけば良いってことなんでしょうがね。そんで、無駄は省いて、マイホーム、教育資金、老後、とその計画をトレースすれば良いのですからね。
    と言っても、ま、世の中目標だらけなのですが。欲と言い換えてもいいような・・・。

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    誰か大切な人との生活や自分自身の為にガツガツするのは、そんなカッコ悪い事ことなのでしょうか。必死で守らなければならない者達の為には、形振り構わずになりますけどね。最近は通常分娩か帝王切開か、若いか高齢かで分娩後の母親達の暗黙のイジメがありますよ。ある意味正社員が通常分娩、帝王切開は非正規社員かも。。。

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