派遣と縁が切れますか?

「労働者派遣法の抜本改正を求める意見書」というのを日本弁護士連合会(日弁連)が発表していましたね。

生活危機:08世界不況 「派遣法改正を」 日弁連が意見書 -(毎日新聞)
いずれも19日に日弁連で採択された。労働者派遣法に関しては(1)登録型派遣の禁止(2)日雇い派遣は派遣元と派遣先の間で全面禁止(3)違法行為があった場合に直接雇用と見なす規定が必要--などと主張した。

他に「マージン率の上限規制をすべきである」なんてのは、派遣元、派遣先企業への公表を義務付けるなんてのも良いかもしれませんね。いくらピンハネしてるか分かるし。「グループ内派遣は原則として禁止すべきである」は、トヨタすまいるライフとかもかな。労働者を車ぐらいにしか考えていない、製造->流通->小売り 各々で利益を搾取する方法ですから禁止しないとダメですよね。
ボクの知人にも派遣社員がいまして、その5人がどうして派遣社員として働いた/働かなければならなかったのか、を少し書いてみようと思います。
20歳のAくんは、高校卒業後地元の企業に就職するも2年後に退職。その後失業保険を受給しながら就職活動をしましたが、それまでの収入(年収300万円弱)を出してくれる企業もなく、やりたい仕事も見つからなくて、待機期間プラス受給期間6ヶ月を過ごしましました。Aくんには、普通の若者によくある車や釣り道具のローンがあって、その返済を毎月5万円ほどしていました。
危機感を抱いたAくんは、それまでも何度か求人誌で見ていた、そして頭の隅にいつもあった「月収37万円以上可」という広告に、彼の脳神経を刺激されるようになりました。「37万円可」ちょうどはじめて見た裏ビデオのようで…。そしてたまらず大手派遣会社日研総業経由でトヨタの街にやってきました。
35歳のBくんは、大学卒業したのがちょうど就職氷河期と言われていた年で、卒業するまで希望する職種の企業に縁がなく、就職浪人となりました。卒業後半年は就職活動ということでアルバイトもせず、そのまま時間が過ぎてしまいました。親に援助してもらっていたとしても、やはりいろいろな欲には勝てずに消費者金融で借金をするようになりました。
最初は2万円、3万円です。「無人くん」は何も言わずに無表情のままお金を貸してくれました。ついついその無言という優しさに甘えてしまい、数十万円の借金が出来てしまいました。それが1年後のことです。Bくんは「取りあえず借金のために」派遣会社に登録に行きました。そして進められたのがトヨタの街の工場でした。「月収30万円以上にはなりますよ」という担当者の言葉が決めてになりました。それから10年以上、派遣社員としてあるいは期間従業員として、いわゆるスパイラルな生活を繰り返しました。
40歳のCさんは、長く勤めた会社を退職。年齢的にも、そして「長く勤めた」と言っても専門職ではなかったため、彼がそれまで得ていた収入ほどの条件の仕事はなかなか見つかりませんでした。同業種の企業でも会社が違えばその経験を活かすことは難しいということでした。資格もあったのですが、それはほとんどペーパードライバー状態で、中にはその資格を取得したことさえ失念しているものさえありました。
35歳を過ぎると就職はほとんど絶望的でした。地元の製造業やサービス業での求人があったとしても「月収18万円、ボーナス2ヶ月」なんてものでした。それでもボーナスが出るところは良い方でした。そして多くは派遣会社からの求人でした。もうその頃はすでに全労働者の30%以上が非正規労働者の時代、「これは良いね」と思った求人票には「(派)」という派遣社員である印がついていました。Cさんは「丸派かあ、ソーセージかよ」と笑ったとか。
結局、九州出身のCさんは地元にある大手自動車会社の期間工、あるいは派遣社員での応募を決めたのですが、ダイハツもトヨタ九州も日産も「35歳の壁」が立ちふさがっていました。40歳を過ぎたCさんに残されたのは、派遣会社を通してのトヨタの街でした。
48歳のDさんは自営業でした。10年ほど前までは商売も順調でした。しかし郊外型大型ショッピングセンターが出店すると、そのあおりを受けて売り上げが激減、そしていわゆるシャッター街となった街が減収に拍車をかけて、とうとう閉業することにしました。家族5人。上は高校2年、下は小学校5年生でした。
失業保険もないDさんは、閉業を決めた次の日から時給700円の店員のアルバイトを始めました。その後準社員となったのですが、変わったのは時給が50円アップしたのと、社会保険がついたことぐらいでした。それでもなんとか奥さんもパートとして働いたので、生きてゆくことはできました。
しかしその収入では子供を大学に行かせることは難しいと上のお子さんの将来を考えて、派遣会社で働くことを決意し、そして登録しました。トヨタが2兆円の利益を計上した年、多くのトヨタの街の企業は年齢に対して、そして国籍に対しても寛容でした。Dさんはその街の部品メーカーに勤めるようになりました。
Eさん夫婦は35歳と32歳。夫婦で派遣社員としてトヨタの街にやって来ました。「夫婦部屋あり、ふたりで50万円以上可」という「可」な広告を見てやって来ました。ご主人のリストラが原因でした。
社宅住まいだったEさん夫妻には3歳のお子さんがひとり、住宅もついていてふたりの仕事も紹介してくれる派遣社員での就労は「夢」のようにも感じました。年収も500万円を超える、と夢も膨らみました。
ところが働き始めると、「50万円可」という収入はその半分ほどしかありませんでした。残業がない時期だったことと、慣れない街、慣れない環境でお子さんが病気がちになって、奥さんが休む日も多かったからです。派遣会社は奥さんに解雇通知を突きつけました。子供が病気になって休むことが多かったのがその理由です。そして解雇されました。「派遣切り」です。
そうなると月収は十数万円、ほとんど貯金もできない状況になりました。奥さんはパート先を探したのですが、お子さんのこともあって、もう少ししてから、と考えていると、今度はEさんが派遣切りに遭いました。トヨタショックという非正規雇用狩りが始まったのです。
5つの話をしました。
「なぜ派遣に来たのか」という議論がネット上でも、あるいは居酒屋でも熱く語られています。派遣社員の人たちには、多くは自己責任論を感じさせる(それは発音されないものなのだけれど)詰問のように感じることもあると思います。
いろいろな事情があるのでしょう。中には短絡的に収入に飛びついた若者もいるでしょう。確かに地元で働くよりは高収入が得られるのですから。年齢を分けて5人の話をたのは、そういうことです。半年前までは正規雇用での就職の道もあったはずです。特に若い年齢層の人たちにはね。
そのあたりはよく考えてもらいたいと思っています。「派遣しかなかった」人と、「派遣を選んだ」人は、違うでしょうしね。年齢、家族、あるいは国籍…。ボクはそう思います。

今の派遣は単価も安く、搾取はひどくなるばかり、はっきり言って、なんのメリットもありません。正規雇用から締め出された人がやむを得ず働いていますが、今後は安易に製造業の派遣などやらないことをおススメします。
* 北斗星 * 2008/12/26 7:21 PM *

そう言うことだと思います。「安易に」やらないことです。選べないという人、例えばCさんやDさんのように年齢的に正規社員としても期間工としても難しい人は、社会のシステム(派遣法などの法律や、市場原理という主義主張など)の犠牲者なのですから、ここは法が保護してやらないと、いつまでたってもなくならないと思います。
そしてボクは思うのだけれど、なによりも、人間関係なのだろうと。多くの若者が派遣を選ぶ原因は、「職場という場所への拒否反応」があるのではないかと。仕事をすることではなくて、例えば転職するとき、新しい職場で使うエネルギー、怖さ、憂鬱な感じ、なんてものがあって、それが「安易」というか「安心」という気持ちになって派遣社員としての就労を希望するようになるのではないかと思っています。
それはきっと「終身雇用制度」の崩壊による、家族の崩壊のようにも感じます。職場にはオヤジもいれば兄貴もいたのでしょうが、今はイジメやセクハラがあったり、差別や競争しか連想できないのではないのでしょうか。働くということをそういう連想付けしかできなくなった世の中では、チェンジできる派遣労働に魅力を感じる人が出てくるのは当然のように思っています。
非正規労働者が4割という社会を、そしてその人たちがいつ殺されてもしかたない社会を、国家と言えるのか、と思います。

日弁連-労働者派遣法の抜本改正を求める意見書
意見書の趣旨
1. 派遣対象業種は専門的なものに限定すべきである。
2. 登録型派遣は禁止すべきである。
3. 常用型派遣においても事実上日雇い派遣を防止するため,日雇い派遣は派遣元と派遣先の間で全面禁止すべきである。
4. 直接雇用のみなし規定が必要である。
5. 派遣労働者に派遣先労働者との均等待遇をなすべき義務規定が必要である。
6. マージン率の上限規制をすべきである。
7. グループ内派遣は原則として禁止すべきである。
8. 派遣先の特定行為は禁止すべきである。

7件のコメント

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    >ラグーナさんへ
    ま、本質的には変わっていないでしょうね。ピンハネだし…。
    >まことさんへ
    そうですね。
    就職も、転職、それも30を過ぎるとエネルギーを使うという以上の精神的疲労を伴いますよね。
    派遣法が変わったところで、そういった職場環境は変わらないのだろうと思います。心の貧困についても問題だと思います。
    格差や差別、イジメ、そんな目に見えない部分を変えることも必要ですね。そのあたりは組合の人も分かっているのだろうかと、思っています。
    もう正月休みですか?

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    新しい人間関係に使うエネルギーはずっとひとつの会社にいる人にはわからないでしょうね。
    諸々の事情でそうならざるおう得なかった人たち
    しがらみを嫌い漂流する。
    気持ちは凄くわかります
    自分が働いてる会社はヘルメットの色で正社員か派遣か区別できます。
    正社員に意見することは厳禁されてます
    すれば派遣元から注意されますし
    その職場にはいられないと思います
    息苦しい毎日は次第に精神を蝕み、どうなるかわかりません。
    最近は生きている実感がわかないです。

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    田原笠山様
    ありがとうございました。

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    ラグーナさん、こんにちは。
    昔から…。ドヤ街の例を出さなくても、大きな街のハローワークの近くとかに日雇労働の手配師がいて、職を求める人がいましたね。
    そこまで極端な例は少ないでしょう。タコ部屋なんてのはそうだったでしょうが。一般的な日雇いは今のスポット派遣のようなものでしょうね。
    労務手配師、間接雇用は違法だったのですが、それを派遣法という法律で認めてしまって、それどころか徐々に企業有利に改悪されてきた、ということで不幸が始まったのでしょうね。
    ま、本質は、ピンハネしてなんぼの商売ですからね。それでも需要があるものだから。売春もにたようなところがありますよね。法律では禁止されているのだけれど、公然と売春が行われていますし。

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    こんにちは
    報道で派遣従業員は(概ねですが)“解雇住居斡旋なし”みたいに報じていたので
    “えっ、派遣会社に属しているのに(最低限の)保証は?”と思ったもので…。
    北斗星様や方々のコメント、田原笠山様のブログから次のように感じました。
    【むか~しから変わっていない】(むしろ悪化している?)
    バブル期頃までは、日雇労働者は、ドヤ街に寝泊まりし、毎朝“手配師”がその日の仕事を斡旋しマイクロバスに乗せ、各現場へ送り込み、帰りは迎えに行き(と見せ掛けて)、ピンハネしたうえで、風呂・酒・食事を法外な値段で提供し、宿代を残したくらいにして外へ放り出し、また翌日から同じルーチンの繰り返しをさせ、加齢や怪我で働けなくなったら仕事を斡旋しなくなる。という話を聞いたことがありましたが、その当時は、労働者も手配師も“特別な事情がある人”と思っていました。
    “はじけた後”、『情報が得易くなった』(情報化社会?)・『総中流』・『不況』となり、“手配師”が“派遣会社”、“日雇い”が“一定期間の派遣”、“そこで働くのは中流”という新たな形が出来はじめ、“ほったらかし”にしといたら、それが“ふつー”になってしまい、今回“どうしたものか?!”と騒いでいるだけで、どなたかのコメントにありましたが、『そんなことは20年以上前に予測がついていた。』なのか。
    なんか本質的には“むか~し”から変わってないのかな?なんても思っています。
    思いつくまま記させて頂きました。

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    入社試験10連敗さん、こんにちは。
    「オヤジの威厳が無くなってきた」というのもあるでしょうね。再就職を派遣社員としての道を選ぶ人の多くは、その離職原因なんてのも考えないと、と思います。平気で人を切る会社も多くて、そういう心の傷というのもあるでしょうからね。
    派遣は、そうですね。100万円だって可能のようにも錯覚しますよね。というか、可能って書けば全て許されるような。そうそうワンルームマンションも、マンションを区切って個室にしただけなのに…。
    ま、それでも、これからは、正規化という賃下げが行われないかと思ったししています。格差の2極化のような。そして本当に見殺しにされる時代になるのかもと、思っています。

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    おはようございます。
    >それはきっと「終身雇用制度」の崩壊による、家族の崩壊のようにも感じます。職場にはオヤジもいれば兄貴もいたのでしょうが、今はイジメやセクハラがあったり、差別や競争しか連想できないのではないのでしょうか。
    特にだらしないオヤジが増えていった(中間管理職、もしくは役職の無い正規社員か?)というか、オヤジの威厳が無くなってきたと思います。
    ストレス発散でギャンブルに溺れて身を滅ぼしていったと思います。
    職場内で殺し合いがあってもおかしくありません。
    あと北斗星さんのコメント通り、自分も賛成です。
    自分も日研で日産横浜工場で働いていましたが、あくまでも次の就職先の「つなぎ」と派遣先の企業(ここで働きたい)が目的です。
    この頃の製造業の非正規は期間従業員と請負(アウトソーシング)がメインでした。
    『格差社会』の父でもある小泉純一郎君が労働派遣法を成立、さまざまな派遣会社が製造業に進出、後にニートの存在を認めてしまいました。
    いまは派遣と縁を切りました。
    派遣で働いていて、次の就職先(コンピュータ関係)が決まって辞めた人がこう言ってました。「派遣は思ったより稼げないし、待遇悪いからやめたほうがいいよ」
    派遣・請負を選んだ人は、月収の他に「直接雇用の期間従業員よりも長く働ける」という点もあります。しかし、蓋を開けてみたら、「騙された」という声が・・・
    聞いた話ですが、「昔、派遣で月50万円稼いだ時があった」と言ってました。
    こういう名残から、各派遣会社では人を集めるため「月40万円以上可」や「月36万円可」「ワンルーム寮無料(実際は共同のほったて小屋)」というありえない詐欺・釣り広告が目立つようになりました。

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