ワークシェアできないならベーシックインカムで?

前回の続きですけれど、ワークシェアリングはとても難しいことのように思います。そのことで精神的にダメージを受ける人も出てくるだろうし。前回書いた対立やイジメなんてことも起きるのでしょうしね。
それは収入が減るということだけではなくて、たとえば企業愛なんてことから「排除」という形を取る対立ということなのでしょう。中には自決するひともいるのでしょうし。(正社員が会社のために早期退職するということです)

日産:休業日の副業容認 自動車メーカー初 - 毎日jp(毎日新聞)
日産自動車は6日、今月から全正社員を対象に、賃金カットを伴う休業日の副業を認めることを明らかにした。副業容認は、東芝や富士通子会社など電機業界では広がっているが、自動車メーカーでは初めて。

「副業」しなければならない状態でワークシェアなんて思想は生まれないでしょう?きっと。この状態で、例えば派遣社員がいたとしたら「どうして会社はオレたちがこんな状態なのに派遣なんてのを雇ってるんだ」と思うのが普通でしょうから。その副業で得た収入がまるでそのまま派遣社員に回っているような錯覚さえも覚えるでしょうね。
ワークシェアリングによって賃金がどこまで下がるかにもよるでしょうけれど、副業を会社が認めてしまうということは、そのことの限界(ワークシェアの限界)を宣誓したようなものですから、それが雇用を守れないということの大義名分になるのだろうと思っています。そして今までは正社員vs非正規、だったのが、正社員vs正社員という対立になるのだろうと思ったりしています。
無人島でのサバイバルをイメージしているのですが…。
こうなると、まるで「あなた作る人、わたし食べる人」(だったっけ)という問題になったCMのようでもありますね。
「あなた働く人、わたし貰う人」というような…。
昨日のエントリー「派遣が悪い理由」では労働の意義とか意味が失われていて、金を得るためにはなんでもあり、金の質は問わないという精神構造になっている、と書いたのですが、そういう状況下にあって、いよいよ社会は二極化するのだろうと思います。
働く人、と、貰う人、です。扶養・被扶養という区別化というか。
これまでは雇用のされ方の違いはあったとしても、おなじ「働く人」という立場での格差があったのですが、これからは働く人が全ての社会保障を一手に引き受けなければならない時代になるのかもしれないですね。
年金受給者が増えたと考えれば、そんなに複雑に思い悩まなくてもいいかもしれませんが。
そういった感じで、ベーシックインカムが語られると、福祉国家ってのは年金国家、生活保護国家になってしまってしまうのでしょうね。そしてこれまでの格差問題のように「派遣切りはんた~い」なんて声を上げることもなくなって、寡黙な集団が現れるのだろうと考えています。
だって「お金を儲けることはダメなことですか」というみんなが認めてしまっているのだし、そのお金、いや金の質は問題にしないのだろうし。モラルハザードどころか「犯罪容認」とまではいかないにしても、人として生きることが根底から覆されるような社会になるのではないかと、それは監獄国家というようなものではないかと、失業者で生活保護に一番近い男は土曜日の早朝から考えているのだけれど…。
梅の蕾

2件のコメント

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    竜次さん、こんばんは。
    ええ、ま、元気です。
    そうですね、ありがとう。
    はい拝見します。
    そういえば松雪泰子さん、「砂の器」良かったですね。昨日見ました。2004年のテレビドラマ。
    そちらも春の予感はしているのでしょうね。

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    田原笠山さん、元気にしてますか?。
    いろいろ大変な毎日ですが、頑張っていきましょう。
    うちのブログも見てください。

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