期間工物語(8)

「どうしてオレはここにいるんだろう」と、Tさんは独り言ちた。
墓地公園から家まで歩いて帰った。1時間ほど歩いた。家に帰ると母親が食事の準備をして待っていた。Tさんはその食事を摂ってそのまま部屋に行った。「お風呂は」と母親の声がしたのだけれど、聞こえないふりをした。というか、言葉を出すことが煩わしかった。
その夜は眠れなかった。そして明け方からお昼ごろまで眠った。土曜日の夜も眠れなかった。そして明け方からお昼まで寝た。休日に朝食を取らないということはたまにあったので、母親はさほど気にも留めなかった。
日曜日の夜も眠れなかった。そして月曜日の朝、起きない息子を母親は必死に起こした。Tさんは起きなかった。そして母親に向かって「今日は休むから電話しといて」と頼んだ。母親は「熱があるようなので」とTさんの上司に電話をした。
次の日も、そして次の日も母親が電話した。そして一週間が終わった。Tさんはお昼過ぎに起きて、昼食を食べてからまた部屋に閉じ篭もり、そして夕食を食べてから閉じ篭もるということを繰り返した。金曜日の夜が終わった時、Tさんは少し安心した。休日には何も考えなくてすむと思った。
そして日曜日の夜は「明日は行こう」と思った。しかし月曜日の朝になると、布団から出ることが出来なかった。お昼過ぎになると安心した。そして「明日はなんとか」と決心をした。同じことだった。
水曜日に上司である課長が家に来た。それでもTさんは会おうとしなかった。電気を消した真っ暗の部屋の中で母親と課長の話を聞いていた。「明日は…」という気持ちもなくなった。そして次の朝、母親に「辞める」と告げた。そうしたら少し気が楽になった。それでも一度は職場に行かなければならなかった。それが出来なかった。あの時の言葉がヌルっと身体にまとわり付いていた。
Tさんは動けないでいた。あの日から家の外に出るということはなかった。あの日から部屋と食卓の往復だった。母親との会話も少なくなっていった。それを心配したのか母親はお姉さんを呼んだ。だがTさんがお姉さんと話すということはなかった。
Tさんの代りに母親が県事務所に行って退職の手続きをした。そして荷物を引き取った。あれから1か月近くが過ぎていた。Tさんは相変わらず動けないでいた。季節は春から初夏へと変わっていた。ゴールデンウィークが始まろうとしていた。
田中和風寮A室

2件のコメント

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    衣…父さん、おはようございます。
    お久しぶりですね。どうですか?
    三五のマフラーですね。
    いろいろな事情でいろいろな人がやって来ていましたよね。もう10年以上もやっている人とか、60前の人なんかもいて…。
    それぞれに物語があるのでしょうね。その後、というのは、統計も取られていないでしょうし、トヨタにも責任はないのですけれど、こうしてボクなんかの様子が分かるということだけでも、「期間工のその後」なんてことで面白いかもしれないと思っています。
    暑いですね。お体に気をつけてお過ごし下さい。

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    期間工物語八話迄来ましたね自分はあの頃三五で検査課に居て日研の派遣としてひと月だけいました身体を崩して…と言う理由で故郷に帰還と言う理由でトヨタ自動車に移りました班長や組長はとても良い人でした。最後の勤務が終わる日お二人共いらっしゃら無くて お礼を言う事も出来ず衣浦へ移りました そう言った人達との出会いに 人買いの世界の寂しさを噛みしめた時期でした。その頃の思い出を彷彿とさせてくれる様で懐かしく読ませて頂いております。

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