期間工物語(9)

春の陽気が部屋に引きこもることを心地よいものにした。
「よくあんな退屈な場所へ毎日通っていたものだ」とTさんはつぶやいた。「いったい何が楽しくて毎日通っていたのだろう」と続けた。
相変わらず家の外には出ない日々を送っていた。「真面目」な性格と家賃も食費もいらない生活だったため貯金もそこそこあった。母親もしばらくはそっとしておこうと思っていた。そしてどこの母親もそうするように、息子のことよりも自分のことを責めた。「お父さんが死んでから、私がもう少し厳しくいしていれば…」なんて内省が習慣になった。
息子Tさんは、その間もほとんど何も考えることなくほとんどの時間をパソコンの前で過ごす毎日だった。変化と言えばハローワークに月に何度か行くようになったことだった。離職表が会社から届き、失業保険の手続きのためにハローワークに行かなければならなかった。いや、それも本当は面倒くさかったのだけれど、母親に強く頼まれた行くようになったのだ。母親はそれがきっかけで息子が外に出るようになればと祈っていた。そして泣きながら息子に懇願した。
夏が終わり、そして秋が来た。その秋も終わり冬が来た。8ヶ月、9ヶ月なんて時間はあっという間だった。そしてまた春が来た。失業保険の受給期間は終わっていた。もう失業認定も、就職活動のための検索もする必要もなかった。そうなると心地よい気候も手伝って、また閉じこもる日々が続いた。1年は早かった。その思ってもみなかった速度が、時間というものを心地よいものにしていた。時間は流れる。時間に拘束されないことの自由さをTさんは感じていた。
それでも1日に1回は「オレはどうしてここにいるんだろう」という自問をした。「なにやってんだろうね」と思った。自問、自省…。そして自傷。それはリストカットなどという能動的な行動ではなくて、精神の部分に随分とダメージを与えていた。1年以上も対人関係がなかった。仕事に対して、いや、それ以前の面接や応募ということでの人との関係が恐怖だった。なによりも家の外に出ることも、その頃には怖くなっていた。
地方の小さな町では、自意識の中に世間というものが常に粘着していた。それは声であったり視線であったりするのだけれど、玄関を出るとそこにすでに待ち構えている他者がいる。人間と言う形ではなくて、分かりやすく言えば監視カメラのようなものがいたる所に設置していて、それが各家庭のテレビに繋がっている、それを感じさせるのが田舎の路地というもの、世間というものなのだ。
そしてほとんどの人たちがTさんの引きこもりを知っていた。知っていたのだけれど、知らないふりをしていた。監視カメラで見ているとはいえ、その監視カメラは常に自分にも向けられているからだ。コソコソ見ている自分たちもまた見られているという二重構造の監視システムになっている。それが田舎の世間なのだ。
隣のオヤジがたまにTさんの母親に声をかけた。「最近は景気も悪くて、良い仕事もないからなあ」。そして母親は答えた「ええ、良いところがあったら紹介して下さい」。「ああ、気にかけとくよ」。当たり障りのないところで会話は打ち切られた。その話に尾ひれが付いてオヤジの家の食卓の話題に登ったとしても、直接本人のことを聞くには遠慮があった。
そうした遠慮もTさんの引きこもりを長引かせる要因だったのだけれど。
桜が咲いた。1年が過ぎた。Tさんの話題は職場からすでに消えていた。Tさんの内省はいまだ会社のことに留まっていたのだけれど。少しのこと、それは「ボタンの掛け違い」なんてことよりももっと些細な出来事、例えば、いつも右足から靴を履くのに左足から履いた、なんて本人も憶えていないこと、他人からも分からないこと、そんなことから人生は大きく変わる。そうTさんは考えていた。
鉄橋

2件のコメント

  • blank

    御巣鷹さん、おはようございます。
    そうですね。人の運命なんてのは1秒もあれば変わりますから。
    言葉で失敗して、そして悩む人も多いのでしょうね。無口というか、用心深くなったりして。
    ボクも、いまだに失敗しますよ。もう仕方ないかなあ。精神状態が一定しない、というか、ついつい攻撃的になるというか…。ま、余裕や溜め、間、なんてものを失くすと、どつぼに嵌りますもんね。

  • blank

    明日は何が起こるか絶対に分からない。
    ここ5年間、その意味を痛いくらい体験しました。
    それも些細なきっかけであったり、言葉のあやが原因であったりと、何でもないことでターニングポイントは訪れますね。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA