It never rains but it pours.

学生の頃暗記したもんだ。あと、A whale is no more a fish than a horse is とかも…。
600万台もの大量のリコールを出したトヨタの発表を聞いて、ふと「It never rains…」が浮かんだ。
「出ればいつも大量」。もう数年前から分かっていたことで、いくらトヨタが頑張ったところで、そしていくら章夫社長が「FUN TO DRIVE, AGAIN」なんて言ってみたところで、クルマはどんどん面白くない方向へ進化している。
大きいプリウス、中ぐらいのプリウス、小さいプリウス、ぐらいしかボクには認識することができないでいて、街中似たような車が、まるで蟻の行列のように蠢いている。
大きいプリウス、中ぐらいのプリウス、小さいプリウス
食材偽装とトヨタ車でも書いたように、「そしてもうブラックタイガーと車海老どころか、芝エビと伊勢海老の区別さえ消費者は判別できないぐらいに洗脳されてしまっているのではないのか?コストパフォーマンスなんて愚かな幻想に憑りつかれて、人造海老を車海老とありがたがる国民に成り下がっているのではないのか?
街はそんな光景で溢れている。
どれを食べても似たようなテイストで溢れている」のだ。
トヨタのリコール自体が珍しくもなくなって、今はその数だけが、ギネス記録更新のように騒がれて日常化している。軽微なリコールだったから良いようなものの、これが人命に関わるようなものだったら、核兵器どころのさわぎではなくて、世界中で600万人以上の人々が犠牲になるということだ。トヨタ・パンデミック。トヨタだけではなくて、最近の殺人兵器産業、もとい自動車産業はそういうリスクを内包している。

際限のない消費と廃棄に基づいた現在の世界経済が地球を破壊している事実は明らかだ。ハイテクでハイリスクで、そして極めて有毒な経済体制の行く末を見て、狂乱状態の消費者ライフスタイルを疑問に思う人は少なくない。すべてのテクノロジーを否定しているわけではない。私たちが切望しているのは、適切なテクノロジーに戻ることを基本とする、よりシンプルな生活だ。

とイヴォン・シュイナードが「To catch fish」(patagoniaのカタログに収録されている)で述べているように、大量生産大量消費という“狂乱状態の消費者ライフスタイル”が、また狂乱状態の生産スタイルというシステムをつくりだし、それによってボクたちは毒殺されようとしてる。数十種類の車種に同じ部品を使うなんて力技は“適切なテクノロジー”ではなくて、ボクにはやっぱり狂乱にしかみえないし、それは消費者を欺く、例えば食品偽装にも通じるようななにか胡散臭さを感じる。
コストカットノイローゼに侵された企業は、なによりも企業の利益を優先するのだ。どうしてあれほどの利益がトヨタにもたらされているかということを、ボクたちはもう少し考える必要がある。
ベアもできない下請け企業、結婚もできない期間従業員、そして交通事故はいつまでもなくならない社会、ハイブリッドなんて言いながら温暖化は進む地球、そして際限なく起こるリコール。
ボクたちはもうすでにクルマに対して不信感を持っていて、それが若者のクルマ離れになっていることを、章男社長をはじめ造る側は気付くべきなのだ。というか、もうすでにこの国の若者には背を向けて海外にその市場を求めて、海外にその毒をまき散らしているようだけれど…。
まあ、国破れてトヨタあり、だ。
報道発表資料:リコールの届出について(トヨタ ヴィッツ 他)
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