花見(さくら2014年)

白い雲、白い波頭、花びらは落ちて、その儚さを知る。
答えの出ない冬を越し、ボクたちは対岸の春を見る。
花びらの落ちて悲しき水溜り(笠山)
相変わらずボクの休日と言ったら洗濯と掃除で、それが終わったら酒を飲み、なにかが生まれるわけではなく、喪失した時間の上に、ただ昔の写真を並べては解説している、そんな一日なのだ。
ボクは、たぶん、幸せなのだ。生きている理由が、例えば、どうしてここにいるのかという全うな理由があるのだから、幸せなのだ。その理由を失いたくないということがボクの全てで、それは例えば、財産家がお金を失いたくないと強く思うことと同じような感覚なのだろうと、ふと今思ったりもする。あるいは母親が子供を失いたくないと思う気持ちのようなものなのかもしれないと思ったりもする。
春だね。これからボクは落ちてゆく花のことなんかを考えながら酒を飲むのだけれど、それにも飽きてきたら、きっとふらふらしながら近くの公園のベンチに座っているのだろうと思う。
ほんと、春だね。
花見2014年

1件のコメント

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    一時期ブログをやめた時、勝手に心配しました。数年前に情緒不安定になって、酒に溺れたりして、変なコメントしてすみません。今も、期間工と引きこもりの繰り返しで、絶望が年を取るにつれ、増します。6年以上、誰ともまともに人と接してないので、そんな性格なので、孤独を強く感じます。自分が悪いのは重々承知です。いろいろ諸事情があって、2008年にトヨタに来てから、感じたのは空が違うこと。もう、あの時に感じてたかもしれない。帰る場所がないこと。帰ってもみんなが、不幸になること。ただ、夜空が綺麗でした。特に月が。夜勤明けの達成感と完璧な孤独があったからかもしれません。あと、花見は何回もした思い出はあるけど、トヨタにきてから寮から借りた自転車で散策した時の桜は忘れられません。コメントしても嫌な気分にさせるのではと思い、控えてブログを読んでました。いろいろすみません。

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