イスラム国邦人人質問題で考えたこと
2015年1月29日
29日日没までに後藤さんとサジダ・リシャウィ死刑囚を交換する用意ができなければ、狂気の集団に拘束された「ヨルダン軍パイロットが即座に殺害されるだろう」という新たなメッセージが、昨夜の23時頃、その集団からYouTubeにアップされたそうだ。この人質問題、国会も中断されるほど日本の政府、マスコミ、そしてボクたちも大騒ぎだ。
フリーのジャーナリストでこうなんだから、もしも日本政府がテロリストの要求に屈してしまって、彼らの言いなりになったとしたら、次は政府要人や外務省の職員なんて人たちを人質に取る。彼らは思うだろう「日本はなんでもする。2億ドルどころか20億ドル払うだろう」と。次々に邦人の誘拐が始まる。
全世界のテロリストは日本政府の動向を注視している。対応次第で明日にも誘拐が始まる。取りあえず日本企業の社員を人質にとって身代金を要求する。トヨタ自動車の社員なんてのはまっさきに標的にされる。なんたって世界のトヨタだ。2億ドルなんて風評被害に比べればお安い値段だ。「2億ドルのために社員を見殺しにしたろくでなし企業」なんてことで不買運動が世界規模で起こらないなんて保証はどこにもない。
良いことも悪いことも、あるいは嘘も本当も、ネットを通して即座に世界中に拡散される、それがグローバル化ということだ。払うも払わぬも同程度に企業のコストになる。
テロリストに屈するということはそういうことだ。2億ドルを払ったがためにその数倍数十倍もの被害を被るようになる。後藤さんが言っていてように、彼の問題は「自己責任」なのだ。後藤さんも「助けてくれ」とは思ってない。この国の国民も「なにがなんでも救出」なんて考えてはいない。ヨルダンにとってもこの国にとっても「困ったなあ」と言う存在なのだ。そう思うのだ。